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そんな俳人もいそうだけど 芥川龍之介の俳句をどう読むか37

唐寺の玉巻芭蕉肥りけり

  この句は全集では「からでらのたままばしょうふとりけり」と詠まれているが、どういうわけかネットでは「たまま」に直されて紹介されている記事が多い。「玉巻」の季語が「たままく」と広く訓じられている所為なのだろうか。

 この句には「再び長崎に遊ぶ」という言葉が添えられていて、注によればそれは大正十一年四月のことらしい。

百艸 芥川竜之介 著新潮社 1938年

 そういえば『長崎日録』にあった句だ。少し印象が薄い。

 なるほど長崎だから芭蕉かと思ってみれば、松尾芭蕉とは吉本ばなな的な俳号であったかと改めて気がつく。
 その松尾芭蕉は「玉巻芭蕉」に関して、


芭蕉俳句全集

青苔や玉巻芭蕉一株二株

 ……という三文字字余りの少し賺した句を詠んでいる。この「青苔」を「せいたい」「あおごけ」「あおのり」「いしあか」とどのように訓ずるかによって随分趣が異なってくる。

 それにしても「玉巻芭蕉」とは漢字四文字が連なる固い、なかなか扱いづらい季語のように思える。これは「青苔」がすでに夏の季語で「や」の詠嘆がついているので、取り合わせに「玉巻芭蕉」を無理に付け足した感じが、字余りの破調でさらに誇張されたような句だ。

 この「玉巻芭蕉」という季語には皆苦戦しているようで、このように分割してみたり、

亜石句集

※窗  ……「窓」

 蕪村もやはり破調かつ字余りでバランスを崩している。

蕪村俳句全集

耳目肺腸こゝ玉巻ばせを庵

 読み下しを失敗した漢詩のような句だ。「玉巻芭蕉」がやはり季語としては固いのだ。

左衛門句集

耳目肺腸こゝ玉巻ばせ哉

 なのか?

俳諧三家集

 子規も苦戦している。どこそこに「玉巻芭蕉」があったよ、とは誰にも読める句だ。

入口や芭蕉玉巻く黄檗寺

入口や芭蕉玉巻く寳林寺

入口や芭蕉玉巻く萬福寺

入口や芭蕉玉巻く西芳寺

入口や芭蕉玉巻く観音寺

 いくらでもふる。

 子規らしくない句だ。

唐寺の玉巻芭蕉肥りけり

 先人の苦戦ぶりからすれば、芥川の句は卒なくまとめているようでさして面白みのない句のように思える。玉巻芭蕉は肥っていて当たり前なのではないか。肥っているから玉巻芭蕉でゆるいトートロジーに陥っている。

 肥りけりにはこのくらいのインパクトが欲しい。


 むしろ、

南蛮寺玉巻芭蕉肥太鳬

 くらい苦戦しても良かったのではないか。

つゆじも : 歌集 斎藤茂吉 著岩波書店 1946年

長崎の晝しづかなる唐寺やおもひいづれば白きさるすべりの花

 俳句というのは不思議なもので、ただでさえ窮屈な短詩型なのに、芥川の句では「玉巻芭蕉」だから「肥りけり」がもう余計に思えてくる。短歌で四文字字余りになってさえ、斎藤茂吉の歌からはぎ取れる文字はない。
 そんなわけで茂吉の短歌は、長崎県の観光案内書で紹介されているのに、芥川の句は面白くないとしてスルーされている。

長崎県案内 昭和7年


長崎県案内 昭和7年


長崎県案内 昭和7年

雪降らぬ松はおのれと肥りけり


俳諧寂栞 春秋庵白雄 著||拙堂 増補今古堂 1892年

 こう見ると、

唐寺の玉巻芭蕉肥りけり

 ……の「肥りけり」は余計なのではなくて、むしろ付け句を待って意味が遊んでいるような感じがなくもない。
 俳句とはこんな孤独な遊びだったかと思い知らされるような句だ。

 勿論意味としては「再び長崎に遊ぶ」なので「以前見た時より」という言葉が隠されていて、

再びの芭蕉玉巻く南京寺

 ということなのだろう。

 一度見ただけでは「高くなった」とも「肥った」とも言えないのだという意味が隠されている。ただそこにはさして面白みはない。むしろ比較する訳ではないけれど「肥った」と言い切ることの方が面白いような気もする。

 もともとは『我鬼窟句抄』にある、大正八年の、

粉壁や芭蕉玉巻く南京寺

 こなかべやばしょうたままくなんきんじ、であったものが練られたものと見える。練られた割には……というところか。

庭芝に小みちまはりぬ花つつじ

 ……の器用さに比べれば、という話でもあるのだが、そもそも何故この順番なのだろう?

 時空をゆがめたい?

【余談】

 小説の技術のことは、大変興味ある問題で、芥川龍之介はスタイルが文学を古典として残すか否かに決定的な力を持っていると言ったとか言って、野上彌生子さんは専らスタイルの完成を心がけられるようです。このことはもっとどっさりのおしゃべりを誘い出しますが、三枚以上続けるなんていうことは、あんまりこわいから。これでおやめ、改めてまた。

(宮本百合子『獄中への手紙 一九四二年(昭和十七年)』)

 そんなこと言ってたのか?

 スタイルが大事?

 スタイルじゃないよ。

 顔だよ、顔。


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