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木石のここだかずそふ夜寒かな 芥川龍之介の俳句をどう読むか102

  この頃の句

春雨の中やいづこの山の雪

おらが家の花も咲いたる番茶かな

[大正十三年二月二十七日 小穴隆一宛]

 


   蛇笏に

春雨の中や雪おく甲斐の山

   南京城中五分の三は麦隴なり

市中の穂麦も赤み行春ぞ

   夜宿清光寺

木石の軒ばに迫る夜寒かな

   小閑を得たり

おらが家の花も咲いたる番茶かな

[大正十三年三月十二日 滝井孝作宛]


   龍門

荘厳の梁をまぶすや麦ほこり

[大正十三年四月十日 小沢忠兵衛宛]

※この句も漏らしていた気がする


塩釜のけぶりをおもへ春のうみ

[大正十三年五月十二日 小沢忠兵衛宛]


この直木三十三と申すは男にて悪たう也この男の申すことは御信用なさるまじく候

[大正十三年五月二十日 能沢かほる宛]


 金沢の作句左のとほり改作

乳垂るゝ妻となりつも草の餅

[大正十三年五月二十八日 室生犀星宛]

 金沢で詠んだということはますます文子のことではないように思えてくる。


崎ノ字ヲ正シト聞ケリ﨑ノ字ハミナ崎ノ字ニナホシ給ヒネ

日ノ本ハ「ニツポン」ニセン「ニホン」ヲモ正シカラズト言フニアラナク

[大正十三年五月 浜野英二宛]


  寸法狂ふなと前書きして

暁のちろりに響けほととぎす

[大正十三年六月十二日 香取秀真宛]

 寸法が狂うとは?



木石を庭もせに見る夜寒かな

[大正十三年六月二十三日 小沢忠兵衛宛]



拾遺愚草 二 藤原定家 著||佐佐木信綱 校註改造社 1940年


正岡子規 小泉苳三 著玄文社 1948年

庭もせ野もせ 狹キマデ庭モ狹キマデ物ノミチタル事ナリタヾニ野ニ庭ニトイフニハアラズ庭のおもタヾ庭トイヒテヨキニ庭面トヨムハヒガ事ナリ

三の栞 巻之下 歌之部

木石を庭もせに見る夜寒かな

 これは僻事だろうか。つまり庭もせとは本来花が一面に咲いたり、枯れ葉が散り敷いたりして、庭が狭いぐらいに咲いた、散ったという意味なのだが、その解釈だと「庭一面に木石が散らばっているよ、寒々しい夜の眺めであることだなあ」というような意味になってしまう。

 それを芥川龍之介が間違えて単に「庭に」「庭で」という意味で用いたとしたら、これは大事件である。註では、

庭もせ 庭も狭いほど。または庭の面。庭上。

芥川龍之介全集

 と苦し言い訳をしている。

 これは単純にごまかそうという気満々で、読者のためにならない間違った註であり、害悪である。こういうことをしてはいけない。

 これは「庭一面に木石が散らばっているよ、寒々しい夜の眺めであることだなあ」と解釈しないのならば「庭にある木石も背中で見る寒々しい夜であることよ。別の寒々しいもの正面にあるけど」とでも解釈するしかないが、その正面にある寒々しいものが何の補足なしでも浮かび上がってくるわけでもないので「庭も背」はさすがに無理があろう。

 ここは大事件ながら芥川が「庭もせ」を誤用したと認めるべきではなかろうか。

 天才芥川龍之介にして間違いは確かにある。

 間違いをごまかしても何も生まれない。間違えたら訂正すればいいのだ。

 あ、死んだら訂正できない。こりゃまいったぞ。


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