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「ふーん」の近代文学⑬ 小説の神様と云えば

 小説の神様と云えば志賀直哉で、芥川も「私の好きな作家」として「志賀氏」の名前を挙げている。実際芥川も志賀直哉のような小説を書きたいと考えながら書けなかった。この問題は芥川が夏目漱石のような小説をついに書かなかったことと併せて実に興味深い。

 ところで「小説の神様」にはもう一人いた。

今、新たに單行本として上梓するに當つて、改めて小說の神樣に感謝すると同時に、切に愛讀を望んで置く。

女王 前篇
中村武羅夫 [著]大日本雄弁会講談社 1927年

 この「小説の神様」は抽象的な概念でいわば「ミューズ」のようなもの。抽象的な存在である。

帝国百科全書 帝国教育学会 編纂帝国教育学会 1938年

 しかし、この「小説の神様」は志賀直哉個人に与えられた称号である。こっちは「サッカーの神様ペレ」というようなもの。具体的な存在である。


 ※この「系統から云へば漱石の流れを汲んでいます」という評は実にふらふらとしている。どう汲んでいるのかが解らなくて何十年と考えているけれど、それがわからないのに。

だが橫光利一のうちに今日小說の神樣を感ずるその內容と當時私たちが志賀直哉のうちに小說の神樣を感じたその內容とは明らかに異つたものであつた。

私の小説勉強 : 高見順評論随筆集
高見順 著竹村書房 1939年


私の小説勉強 : 高見順評論随筆集高見順 著竹村書房 1939年

 高見順にとってまずは志賀直哉が「小説の神様」であったが、後に横光利一が別の意味で「小説の神様」となる。この高見順の位置が絶妙なものではなかろうか。実際横光利一は志賀直哉から多くのものを学んだ一人ではあろう。

短篇小說の神樣の如くいはれてゐるモウパッサンは、フロオベルの弟子だけあつて、その考へ方も似てゐる。


新文芸創作講座 第3巻
新文芸創作講座編輯部 編厚生閣 1940年

 確かに短篇小説の巧者としてのモーパッサンの評価は一定して高い。殆ど悪口が聞こえてこない。しかし「小説の神様」と云えばやはり志賀直哉というのが、歴史的な正解なのだろう。その歴史に確かに横光利一は割り込んでくる。

「小說の神樣」で通つた横光の「紋章」「機械」一聯の作品が一寸通用するかに思はれたけれど、これもその後之に倣ふものもなく、どうも橫光の小說は「小說」のもつ愉しさをどこかで取り落してゐるやうで、(横光はその點鷗外に似た「小說」家であつた。)「小說」の人氣は島木健作や阿部知二あたりへすり拔けて行つたやうである。しかし島木にも意氣込みのみ荒く、阿部にははつきり行詰りが來てゐる。


預言と回想
蓮田善明 著子文書房 1941年

しかし夏目漱石と橫光利一とはいつまでも日本の文學の歷史の上で思ひ返されるであらう。私は、橫光、夏目二作家の中に極めて强烈に浮んでゐる或る事について考察を加へてみたい。


預言と回想
蓮田善明 著子文書房 1941年

 蓮田善明は志賀直哉をすっ飛ばして横光利一を持ち上げている。

志賀直哉は、書いたあの完璧の文學よりも書かなかつた文學が最も完壁だつた人である。彼もすぐれた「物語」-新しい小說の作家であつた。彼は文學を休んでゐる間、最も立派だつた、立派な文學そのものだつた。

預言と回想蓮田善明 著子文書房 1941年

 どういうわけか蓮田善明は志賀直哉に対して「小説の神様」という言葉を使わないばかりか、褒め殺しのようなねじれた褒め方をしている。流石は三島由紀夫の師の一人だ。

私が編輯に携つたのは大正二年からであるが、その前後の投書家で、今日有名になつてゐるものに、片岡鐵兵、岡田三郎、吉屋信子などの諸氏があり、小說の神樣といはれる橫光利一氏の如きも、また同樣の經驗を持つてゐる。


このわた集 : 小品随筆 加能作次郎 著大理書房 1941年

嘗つて小說の神樣といはれた橫光氏の慧眼をこゝに見るのは、私だけではあるまい。


私の舗道 長谷健 著厚生閣 1942年


私の舗道 長谷健 著厚生閣 1942年

せつかく西歐の持續性といふものを學んだと見れば谷崎潤一郞氏の如く象形文字の外面的持續しか飜譯できず、志賀直哉の直截な直觀認識の純潔さが小說の神樣と見做されて散文精神はあつけなく蹴散らされたのだ。

転形期文芸の羽摶き : 昭和日本文芸の展望 矢崎弾 著大沢築地書店 1942年

新感覺派を代表した横光利一氏の文體は連綿ときままに語る說話體やリズムの平板な文體に躍動する生氣をそそぎこみ、叙景は構成的に統一された。
新興藝術派の解體とともに生れたこの派の一轉化としての新心理主義の萠芽はすでに新感覺派から脫皮した、橫光利一氏の「鳥」「機械」などの作品にあらはれはじめてゐた。

一方純文學派の唯一の守本尊の觀あつた横光利一氏が、ちやうどこの時代に「寢園」を完成して藝術派一般の嘆賞にあひこれまで橫光氏はおもに新文學側からのみ過賞される傾向にあつたがこの「寢園」一作で旣成作家一般の推賞を恣にしたと云はれやう。

少くとも純粹に散文と闘ひ、七轉八倒の責苦を味はつたものは橫光利一ひとりとはさびしい。氏の文學行路は日本近代文學の散文樹立の惡鬪の歷史で、文體から文體へ突きつめ突きつめ胸つき八丁をよぢり昇つた。

転形期文芸の羽摶き : 昭和日本文芸の展望 矢崎弾 著大沢築地書店 1942年


 こうして見て行くと、現代においてこそ「小説の神様」と云えば志賀直哉だが、一時その持ち上げられ過ぎていたところに軌道修正が這入り、代って横光利一が持ち上げられ、いつの間にかまた横光利一も落とされたようなところがありはすまいか。

 文芸報国会かなんかのために横光利一を「ふーん」した文学史があったとすると、それはなんとも勿体ないことだ。

子規以來の俳句、それから澤山の小說、小說の神樣なんかの小說、それは藤村も固より橫光利一も。私は藤村も藝術家ではないといふ信念を取消すことができない。


神韻の文学 蓮田善明 著一条書房 1943年

 この時点で蓮田善明の近代文学に関する興味は夏目漱石と横光利一から森鴎外と永井荷風にシフトしている。そうでなければ夏目漱石を「ふーん」していた三島由紀夫は殴られていた筈だ。

 一個人の中でも作家の評価は変化する。

 ここで名前が挙がった作家たちを私は皆嫌いではない。そう言えば伊藤整なんかはあの猛烈なブームが去って、最近はあまり取り上げられないが、「ふーん」していた人たちがまた持ち上げるんじゃないかな。



[余談]

 横光利一は必ず再評価されるだろうね。伊藤整も西脇順三郎も。

 丸亀製麺も蕎麦を出せば人気が出るだろう。


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