吉野葛というから文豪飯の話が始まるかと思いきや、いきなり南朝の話が始まる。「僕の忠義は幻の南朝に捧げられたものだ」と嘯いた三島由紀夫に、
……などと云われてしまう捻じれは、これまで真面目に議論されてきたことがあっただろうか。
風巻景次郎にフォーカスすると、
むしろ谷崎の『吉野葛』は風巻の影響下で生まれた社会批評的な意味合いを持った作品であるかのようだが、これまで見てきたように谷崎作品はそもそも万世一系の血脈を呪い、天孫を人の子の命と再定義する『誕生』から始まっていた。「社会批評的なものを一切含まずに無縁」「時代と歴史の運命から超然としてゐる」などというものではけしてあり得なかったのだ。
つまり谷崎作品は「昭和初期の風巻による中世文芸の見直し」を待つまでもなく、最初から社会批判的であり、時代と歴史の運命と向き合っていたのだ。
しかし何故かそうでないことにされた。
寧ろ確かに谷崎には『吉野葛』があるのに、女だけに向き合ってきたと総括されてきた。そして三島由紀夫までが訳の分からないことを言って「隠ぺい」に加担したようなところがないだろうか。『吉野葛』は昭和六年に書かれた。三島由紀夫がこれを読んでいないと考えることがむしろ「かへつて不自然」だろう。では三島由紀夫は一体何を思い、「社会批評的なものを一切含まずに無縁」「時代と歴史の運命から超然としてゐる」などと語ったのだろうか。
北朝を正統とする穏便な歴史に抗して、今更「三種の神器を偸み出して叡山に立て籠った事実がある」と書かれているのに、谷崎は女だけに向き合ってきたと言われる。
この書きようは明らかに南朝の末裔に敬意を払って書かれている。無論これは日本がボロボロになる前に書かれた。三島由紀夫の『英霊の聲』のような怨念が感じられるものではないこともまた明らかだ。ただ谷崎は面白い歴史小説が書けないものかと思案しているのだ。
まさかね。
こんな話者の言い訳など、全く信用に値しない。何しろこれを書いているのはあの谷崎潤一郎なのだ。
『法成寺物語』を書いた男がただ面白い読み物を書く訳もない。