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朗読・二葉亭四迷『浮雲』①はしがき・序

ほぼ週一ペースで日本の著作権切れの作品を朗読しています。
今回はコチラ、二葉亭四迷の『浮雲』です。

朗読しよう!
と思ったのは、実はこれを読み始めたからなんです。

読んでてまず、
「おもしろっ!」
と声に出してしまいました。

遥か昔の学生時代に授業で二葉亭四迷という名前を聞いて、しかもその名前の由来を聞いて、当時から気になってはいました。

由来、ご存じですか?
「くたばって仕舞え」
から名前を作ったと。

なにそれwww

ってなりますよね。
ずっと気になっていたんですが、読んだことがなかったんです。

それが最近オーディオブックを始めたことで急に読書熱が高まり、ふとこの『浮雲』が目に留まりました。

どんな話なのか!
そりゃあもう、やみらみっちゃなお話ですよ。

私は電子書籍で読みました。
この時代の言葉は私には難しすぎて、オーディオブックだけだと理解が追い付かなかったので。

とりあえず朗読置いときます。
まずは「はしがき」と「序」の部分。
この辺りは難しいので本文も置いときますね。

【朗読】

BGM: MusMus

【本文】

浮雲はしがき
 薔薇の花は頭に咲て活人は絵となる世の中独り文章而已のみかびの生えた陳奮翰ちんぷんかんの四角張りたるに頬返しを附けかね又は舌足らずの物言を学びて口に涎を流すは拙しこれはどうでも言文|一途《いっと》の事だと思立ては矢も楯もなく文明の風改良の熱一度に寄せ来るどさくさ紛れお先真闇まっくら三宝荒神さんぽうこうじんさまと春のや先生を頼み奉り欠硯かけすずりに朧の月の雫を受けて墨摺流すりながす空のきおい夕立の雨の一しきりさらさらさっと書流せばアラ無情うたて始末にゆかぬ浮雲めがやさしき月の面影を思い懸がけなく閉籠とじこめ黒白あやめも分かぬ烏夜玉うばたまのやみらみっちゃな小説が出来しぞやと我ながら肝を潰してこの書の巻端に序するものは
明治丁亥ひのとい初夏
二葉亭四迷

浮雲第一篇序
 古代の未だかつて称揚せざる耳馴れぬ文句を笑うべきものと思い又は大体を評し得ずして枝葉の瑕瑾かきんのみをあげつらうは批評家の学識の浅薄なるとその雅想なきを示すものなりと誰人にやありけん古人がいいぬ今や我国の文壇を見るに雅運日に月に進みたればにや評論家ここかしこに現われたれど多くは感情の奴隷にして我好む所を褒め我嫌うところをおとすその評判の塩梅あんばいたる上戸じょうごの酒を称し下戸の牡丹餅ぼたもちをもてはやすに異ならず淡味家はアライを可とし濃味家は口取を佳とす共に真味を知る者にあらずいかでか料理通の言なりというべき就中なかんずく小説の如きは元来その種類さまざまありて辛酸甘苦いろいろなるを五味を愛憎する心をもて頭くだしに評し去るはあにに心なきの極ならずや我友二葉亭の大人うしこのたび思い寄る所ありて浮雲という小説をつづりはじめて数ならぬ主人にも一臂いっぴをかすべしとの頼みありき頼まれ甲斐のあるべくもあらねど一言二言の忠告など思いつくままに申し述べてかくて後大人の縦横なる筆力もて全く綴られしを一閲するにその文章のたくみなる勿論もちろん主人などの及ぶところにあらず小説文壇に新しき光彩を添なんものはけだしこの冊子にあるべけれと感じてはなは僭越せんえつの振舞にはあれど只所々片言隻句せっくの穩かならぬふしを刪正さんせいしてついに公にすることとなりぬ合作の名はあれどもその実四迷大人の筆に成りぬ文章の巧なる所趣向の面白き所はすべて四迷大人の骨折なり主人の負うところはひとり僭越のとがのみ読人乞うその心してみそなわせついでながら彼の八犬伝水滸伝すいこでんの如き規摸の目ざましきを喜べる目をもてこの小冊子を評したまう事のなからんには主人は兎も角も二葉亭の大人否小説の霊が喜ぶべしと云爾
第二十年夏
春の屋主人

二葉亭四迷『浮雲』青空文庫より

【語彙】

聞き慣れない言葉も多く、私もちょっと、かなり、てこずりました。
なので一応語彙説明を挙げます。

活人: 命ある人
四角張り: 堅苦しい
頬返しを附けかね: 収まりきらないほど口いっぱいに頬張る→どうにもできない
言文一途: 言文一致。話し言葉と書き言葉を一致させようとすること。
矢も楯もなく: 盾がこらえきれないほどの矢の勢い→思いつめてじっとできない
三宝荒神様: 仏・法・僧の三宝を守護する。かまどの神様。
春のや先生: 次の「序」を書いている春の屋主人である坪内逍遥を指す。四迷の師匠。
烏羽玉の: 烏羽玉(ヒオウギの実、又はそれに似せて作った餅菓子)が黒いので「黒」や「闇」に掛る枕詞
やみらみっちゃ: むちゃくちゃ

称揚しょうよう: 褒め称えること
瑕瑾かきん: 欠点
就中なかんずく: とりわけ
大人うし: 学者や師匠に対する敬称
けだし: まさしく
隻句せっく: ちょっとした文句
刪正さんせい: 文章を校正すること
八犬伝: 滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』
水滸伝: 中国の長編小説。作者は施耐庵と言われる。


あーーー
難しいのに手出しちゃったーーー
と、春の屋主人の文章を読んで思いました。

でも大丈夫!
春の屋先生はこの『浮雲』の作者じゃないんで!
逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!逃げちゃダメだ!!!

ということで、この浮雲が書かれた背景をちょっと調べてみました。

【解説】

〇浮雲
空に浮かんだ雲、または雲のように定まらない身の上

あ、私たちのことか!と親近感を抱きました。
日本人の私がチェコ人の夫と出会ったのがニュージーランド。
アメリカ横断してカナダ、またアメリカ、日本、またカナダに住む現在。
来年の私たちがどこに居るのかはドラえもんのみぞ知る!
はかなし!
いや、ホントに。涙

物語の行く末、登場人物たちの心も定まらない感じ???
と、想像してみたり。。

〇言文一途(言文一致)
元々は書き言葉と話し言葉は別でした。
「~そうろう」とかいうやつがまさに書き言葉代表とも言えるでしょうか。

この時期の小説家たちはみんな「~だ」「~です」「~である」など、これまで書いたことのない話し言葉に近い形で文を書くことに、不安を覚えながらも手探りで作品を発表していました。

「【~である】って、なんか不自然じゃない?大丈夫?」
「あの人【~です】って書いてたけど、え、どうしよう。」
みたいな。

今でこそ「です」「ます」は丁寧語と言われていますが、言文一致運動の辺りはもちろんアンチもいて、
「【です】なんて軽薄な!
ちゃんと【候】と書くべきだ!」
とかなんとかいう批判ももちろんあったんだろうと思います。
こうやって時代は人の手によって作られていくのですね。。

そして、この『浮雲』こそが明治に起こった言文一致運動の代表作と言われています。

〇合作の名はあれども
次に引っ掛かったのがこの「合作の名」の部分です。
え、『浮雲』って二葉亭四迷だけの作品じゃないの???

Wikipediaによると、この『浮雲』は師匠の坪内逍遥の作品に反抗して書かれたもので、初めは師匠の名前で発表し、師匠に印税の半分を渡していたと。
何て奴!!!笑
師匠も大変だなぁ。

ちなみに近代文学はこの四迷の師である坪内逍遥の『小説神髄』により始まったとも言われています。
【小説】という言葉自体も当時はまだ一般的に根付いていなかったそうです。

そのあたりの詳しいところは、tokkodo/とっこうどうさんの記事がとても分かりやすいので紹介させてください。

私も勉強させていただいているところです。。


次回からは『浮雲』の本編のお話が始まります。
良かったらまたお付き合いください。

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