味覚

療養期間を活用して、
できるだけアウトプットしよう。

ほっとくとインプットだらけになってしまうので。

今回は 味覚 について。

わたしたちにとっても馴染み深い
味覚、という感覚。

毎日ごはんを食べるとき
舌でその食べ物の味を感じるわけだけど、
シュタイナーさんはこの
食べ、味わう行為を
〝親密な会話〟と表現しています。

だれとだれの?
世界と、わたしとの、です。

口を閉じると、その口の中は個室であり、
閉じられた空間。親密性。
そして舌は、わたしたちの体内にとりこまれる
食べ物を迎え入れるための
〝扉の前に立つ番人である〟
と。

おおげさだと思いますか?
わたしゃ少し思います。
でもそれ以上におもしろい。

何気なく食べているおやつとか。
味わっているかと言われたらそうでもない。


でも本来味覚というものは、
食べ物である大宇宙(世界)のかけらを
自分という小宇宙へ迎え入れる行為。
わたしたちの肉体、
道具とならなければいけない肉体に
ふさわしいものであるかどうかを
感じるとるための感覚器官なのです。

普段の食事ではあまり意識しないこんな感覚も、
わたしは長野の穂高養生園にいくと、
自然にそうやって
大自然の恵みを、口の中でたっぷりと、
味わっているなぁと思います。
本来の自分の感覚を取り戻すって
そういうことなんだなぁ。

対象物を味わう、ということは
物質実体との親密なやりとり。

オレンジを剥いて味わう、という体験が
中学校における性教育のはじめのひとつとして
行われるところがあるんだそうです。
なんとも、感覚的な性教育であることよ。
最先端だわ。。

そんな尊重されるべき感覚でありながら、
〝味覚ほど堕落してしまった感覚はない〟
ともシュタイナーは言っています。
必要でないものを過剰に取り入れてしまう
危険性も多分に孕んでいる。
なぜなら、加工されて美味しいものが、
この世にはたくさん溢れているから。

舌なめずりや、蛇の舌など、
悪いものの象徴として表現されることも多い。


味覚をマヒさせないよう、気をつけたいものです。
去年はじめてやったファスティング(断食)では
味覚が目醒めたような感覚があって、
マヒしてるかもなーという人にはオススメでし。

世界が私たちのために
食べ物を変換してくれるように、
私たちも、世界を変換させている。
それが「味」である。


ふむふむ。

おもしろいなと思ったのは
甘味と酸味は、感情に
塩味は、思考に
苦味は、意思に
結びついているという話。

味覚も奥深いわねぇ〜〜
つって、ぽりぽり無意識にクッキーとか
食べちゃうんだけどさ。

長くなりました!
次回は 視覚 をやります。

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