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アメリカンフットボールとの出会い

こんばんは。先ほどの甲子園ボウルに触発されて少しセンチな気持ちになっているので、勢いで連続で投稿します。


僕の人生を語る上で欠かせないのがアメリカンフットボールというスポーツ。高校から初めて、大学卒業までの7年間全力で打ち込み、日本一という目標は達成できなかったものの、仲間に恵まれ、高校でクリスマスボウルに二回、大学に甲子園ボウルに一回出場し、つまり全国大会準優勝を三回達成している。


アメリカンフットボールには人生観を教えてもらった。

とにかく毎日毎日休みなく練習し心身ともに追い込まれ、本当に辛く、今もう一度やれと言われても全くもって不可能だけれども、アメリカンフットボールをやることを決断した当時高校一年生の僕には感謝してもしきれない。

高校大学の7年間を捧げたことを後悔したことは今までで一度もない。


「アスリートである前に人としてどうあるべきか。一事が万事。」

高校の監督が常にこの言葉を仰っていた。アスリートはともすれば運動神経さえ良くて試合で結果が出せれば良いものと思われがちかもしれないが、実際は違う。第一線で活躍するアスリートはほぼ例外なく、人としても優れている。

アスリートはアスリートである前に、一人の人として社会の見本となる存在とならねばならず、そのレベルも大きく競技レベルに関わってくる。

運動神経だけで差が出せるのは最初の部分だけで、それ以上は日々の積み重ね、つまりどれだけ自分の課題・伸び代を発見し、それに対して取り組み続けられるかどうか、そしてそれを高いレベルで実行できるか否かが一般人とトップアスリートの差だと思う。日々細かいことに気を配れない人、他人を思いやれない人、社会のルールを守れない人が自分に厳しくし続けることができるわけはなく、運動神経が良いだけの人は途中で人としても優れたアスリートには敵わなくなってくる。実際にそういった例を実体験も含め、目の当たりにしてきた。


自分の話に戻ると、ちょっと人より運動神経の良い僕は、殆どの人が高校生から未経験の状態で始めるアメリカンフットボールでは最初からある程度活躍できた。高校一年生から試合に出て、チームも全国大会へ進み、いわゆる将来有望な選手だった(おそらく)。

でもそれにあぐらをかいていた僕は最低限の努力はしていたものの、伸び悩み、練習中に左腕を骨折し、試合にもあまり出れなくなってしまった。今思い返すと、昔から一旦良い感じになると自分に甘くなってしまう傾向があったのかもしれないが、怪我をしてから必死にリハビリに励むも間に合いきらず、とにかく調子悪いまま不完全燃焼で高校2年生のシーズンは終わってしまった。


転機は高校2年生のシーズン終了後の冬。調子は悪かったものの、何故か周りからある程度信頼を得ていた僕は新チームの副将とオフェンスリーダーに就任した。それと同時に長年チームを支えて下さっていた監督の米国留学が決まり、自分を強く引っ張ってくれる方がいない状況下、真の自分の強さが試される一年がスタートした。

つづく。



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