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noteを毎日書く「意義」について

こんばんは。
就労支援のダブルワークを始めて今日で3日目の小針です。
児童館との掛け持ちは大変かと思いましたが、意外と2つの拠点を行き来するのは楽しいです。
やっぱり自分は週に5日同じ場所に勤務するのは好きじゃないんだなぁと実感しました。

仕事内容や職場の人間関係と言うより、単純に自分が飽き性なだけなんだと思います。
引き続き理想のライフスタイルの実現に向けて、貪欲にワークライフバランスを整えていきます。

さて、今日のテーマは「noteを毎日書く意義について」です。
新たな職場に慣れるのに必死だったり、ライターの副業が始まったりで、僕の中でずっと宙ぶらりんのまま考えることを放置していたテーマです。

最近になって気付いたのですが、僕は行動に意義を見出せないとモチベーションを保てない人間です。
今目の前の「タスク」には何かの「成果」があって、さらにその先に「意義」があると、人はモチベーションを保つことができると言います。

『3人のレンガ職人の話』なんかは分かり易い例ですね。
ちょっと長いですが、引用します。

世界中をまわっている旅人が、ある町外れの一本道を歩いていると、一人の男が道の脇で難しい顔をしてレンガを積んでいた。旅人はその男のそばに立ち止まって、

「ここでいったい何をしているのですか?」

と尋ねた。

「何って、見ればわかるだろう。レンガ積みに決まっているだろ。朝から晩まで、俺はここでレンガを積まなきゃいけないのさ。あんた達にはわからないだろうけど、暑い日も寒い日も、風の強い日も、日がな一日レンガ積みさ。腰は痛くなるし、手はこのとおり」

男は自らのひび割れた汚れた両手を差し出して見せた。

「なんで、こんなことばかりしなければならないのか、まったくついてないね。もっと気楽にやっている奴らがいっぱいいるというのに・・・」

旅人は、その男に慰めの言葉を残して、歩き続けた。

もう少し歩くと、一生懸命レンガを積んでいる別の男に出会った。先ほどの男のように、辛そうには見えなかった。旅人は尋ねた。

「ここでいったい何をしているのですか?」

「俺はね、ここで大きな壁を作っているんだよ。これが俺の仕事でね。」

「大変ですね」

旅人はいたわりの言葉をかけた。

「なんてことはないよ。この仕事のおかげで俺は家族を養っていけるんだ。ここでは、家族を養っていく仕事を見つけるのが大変なんだ。俺なんて、ここでこうやって仕事があるから家族全員が食べいくことに困らない。大変だなんていっていたら、バチがあたるよ」

旅人は、男に励ましの言葉を残して、歩き続けた。

また、もう少し歩くと、別の男が活き活きと楽しそうにレンガを積んでいるのに出くわした。

「ここでいったい何をしているのですか?」

旅人は興味深く尋ねた。

「ああ、俺達のことかい?俺たちは、歴史に残る偉大な大聖堂を造っているんだ!」

「大変ですね」

旅人はいたわりの言葉をかけた。

「とんでもない。ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払うんだぜ!素晴らしいだろう!」

旅人は、その男にお礼の言葉を残して、また元気いっぱいに歩き続けた。

引用元

1人目のレンガ職人は、ただ「タスク」の話ししかしません。彼は何のために、暑い日も寒い日も、風の強い日も、腰や手が痛くなるまでレンガを積まなければならないのか納得できない。
だからぶつくさ文句を言います。

2人目のレンガ職人は、「家族を養うため」にレンガを積みます。
レンガを積むことで得られる「成果(報酬)」が彼のモチベーションになっているみたいです。

3人目のレンガ職人は、「歴史に残る偉大な大聖堂」を作るためにレンガを積みます。
「ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払う」ことを考えると、「レンガを積む」と言う大変な作業も苦にならないみたいです。

『3人のレンガ職人』の話に喩えられるように、「目の前の仕事はどういう成果や意義に繋がるのか」を考えられると、人は途端にやる気が出ます。
みなさんもそういう経験があるのではないでしょうか。

僕の場合はどうでしょう。
僕はなんのために、児童館と就労支援を兼業し、さらにライターやワークショップファシリテーターとしての活動を行うのでしょうか。
それは、僕自身が「一人一人が自分らしく生きられる社会を作る」という意義を持って仕事をしているからです。

児童館や就労支援の現場には、色んな事情を抱えた人たちが多く来ます。

ワークショップファシリテーターの現場では、「学校」という枠組みの中で固定化された人間関係を打開できず、自分の「キャラ」に悩み「自分らしく」生きられない子どもたちを目にします。

一方、ライターとして地域の飲食店やイベントを運営している人たちにインタビューすると、彼らがどんな想いで今の仕事をしているかがわかります。
彼らにとって「誰かのため」を思って作った料理が「自分らしさの結果」なのです。

そういう意味で、「一人一人が自分らしく生きられる社会」の実現のために、今まさに、僕は僕の「自分らしさ」を追求しているのです。
どういうスキルが人のためになるだろう、どういう形で僕は人に貢献できるんだろう。
その試行錯誤の結果が、今でした。

そう考えると、「僕がnoteを書く理由」にも整理がつきます。
少なくとも、収益化を目的とした行動ではありません。
また、趣味でやっているわけでもありません。

「文章書いてたらストレス発散になるんだよね〜」

そう言えるほど、僕は文章を書くことが好きなわけではないみたいです笑

するとやっぱり、生き方やキャリアについて悩む人を対象に、その解決の一助となれるような情報をわかりやすく発信する。
僕が「毎日note」を書く意義は、そう言ったことになるんだと思います。

となると今の僕のタスク(毎日のnote執筆)は、今後僕の発信力を高めていくための筋トレだったり、習慣化的な意味合いがあるのでしょうか。

「発信」を継続することで自分の勉強にもなりますし、「伝え方の礼儀」みたいなものも日々身に付いている気がします。
そういったスキルは、今後悩める人へアプローチしていく上で必ず必要になってきます。

また、「発信」をやめてしまうとどうでしょう。
おそらく、インプットをやめてしまいます。
そうすると、就労支援や児童館での仕事が、改善のない単なるルーティンと化してしまい、仕事が日常に埋没していきます。
そうなるとどうなるか。
1人目のレンガ職人のように、目の前の「タスク」に「意義」を見出せなくなっていくでしょう。

そうなると僕の掲げた「一人一人が自分らしく生きられる社会の実現」という大きな目標は、空を漂うことになります。

初心忘れるべからず。
きっとどの人も、今の仕事を始める前は、来る就職に何かしらの意義を見出していたのではないでしょうか。
ですがそれも日々の業務に忙殺され、だんだん忘れていってしまう。
それって、仕方のないことだと思います。

僕はそれを自分なりに防ぐために、自分の環境を整えることにしました。

だからとりあえず、「毎日note」を続ける。

今日のnoteは自分の思考の整理になってしまいました。
noteにいるみなさんは、それぞれ何かしらの意義を持って活動されている方が多くてとても励みになります。

まずは30日。
あと5日間「毎日note」を頑張ります。

今日も読んで頂きありがとうございました。

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