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ヒッチハイク紀行文㉕ 丸亀~新居浜市

「ああ!つながった!」

次のヒッチハイクポイントを探して丸亀市の田舎道をひたすら歩いていると、職場の同僚から電話がかかってきた。
電話をくれたのは仲が良い先輩女性職員で、育休中だった別の職員の子どもが生まれたこともあり、今日はみんなで集まっていると言う。
テレビ電話をつなぐと、懐かしい顔ぶれが笑顔で手を振ってくれた。

「私のあげたハンカチ返してください」

僕は旅立つ前、職場やめるやめる詐欺をしていた。
餞別をたくさんの人から貰ったのにも関わらず、結局職場に残ることになったのだ。
会う旅にそのネタでいじられる。
しかし悪いのは僕。
お詫びのお土産をしっかり買っていかなければ。

「体調に気を付けて頑張ってね~!」

みんなから沢山応援された。
何としても鹿児島までいかなければ。

急激な尿意がやってきたので、そろそろ休憩することにした。
近くにちょうどローソンがあったため、そこのトイレを借りることにする。
すると、ローソンの駐車場に「愛媛ナンバー」をつけた車が停まっているではないか。
こういう時は、考えずに動くが吉。
都合よく、窓が開いていた。

「すみません、今ヒッチハイクしてまして、愛媛まで乗せてもらえたりしないですか」

運転席には20歳ぐらいの息子らしき男性、助手席にはその父親らしき人が乗っていた。
息子の方は運転に慣れていないらしく、怖いのでと一度断られた。
しかし理由が理由なだけに食い下がると、父親の運転ならということで了承してくれた。
この形での成功は初めてだった。

「荷物こっち乗せな」

「ありがとうございます!あの……乗せて頂く前にトイレに行っても良いですか?」

トイレを済ませ、僕は車に乗り込んだ。

今日は家族で出かけていたらしい。
練習がてら車2台で、一方を母親、一方を息子が運転していたのだが、僕の乱入によって、母親が運転していた方の車を父親が運転することになった。
僕はそっちの車に乗ることになった。
その家族は四国中央市に住んでいるらしく、そこまでの旅となる。

「今月から息子が就職するんだよ」

息子さんは建設会社で大工として働くことになったらしい。
現在18歳。
そう語る父親の表情には、子育てをひと段落した晴れやかさと、息子への誇らしさが入り混じっていた。

「就職祝いに車を買ってやったんだ。もちろん、出世払いでちゃんと返してもらうけど」

父親自身は、愛媛で有名な製紙会社で長年働いているらしく、その会社が愛媛でどれだけ有名かを教えてくれた。
その他にも、愛媛に関する様々なことを教えてくれた。
長く住んでいればその土地に詳しくなり、愛着も湧く。
彼の話ぶりからは「どうだ、愛媛って良いところだろう」と言うようなニュアンスを感じた。
その自慢気なニュアンスは、勿論全く嫌味っぽく感じない。
本当にこの町を誇りに思っているのだ。
僕はどうだろう。
生まれ育った目黒の町に、愛着はあるだろうか。
時刻は17時半。
高速道路のバス乗り場の近くまで送ってもらい、その家族とは別れた。

「一期一会を大切に。頑張って!」
「人生楽しく、相方さんと過ごす!」
「いい大工になって自分の会社を持つこと」

『じゆうちょう』への一言も忘れずにお願いした。

✳︎

そろそろ日が暮れる。
とは言え、徒歩圏内で宿泊できる施設がこの町にはなかった。
日が暮れるとスケッチブックの文字が見えにくくなってしまう。
急いでヒッチハイクをしなければ。
僕は高速道路の高速バス乗り場まで階段で上がり、料金所の30メートル手前付近でスケッチブックを掲げた。
しかしどの車もスピードに乗っており、止まってくれる気配がない。
場所を変えようかと思っていると、一台の車が止まってくれた。

「どこまで行くの?」

「今治方面です」

「あらそう。私たちは次の町で下りちゃうのよ。目的地が合えば乗せてあげたんだけど」

「次の町に宿はありますか?」

「無いのよ。こっちの方が栄えてるから、移動しないで次の車を待った方がいいと思うわ。でもこの付近はみんなスピードを出しているから止まってくれないと思うわよ」

普段料金所で働いていると言うご婦人のアドバイスは的確だった。
僕もそう思う。
あと10分粘って無理だったら諦めよう。
そう思ってすぐに、また一台の軽バンが止まった。

「どこまで行くの?」

「今治方面を目指しています」

「あ、そう。新居浜市ってところまでだったら乗せられるよ」

「本当ですか!その町に宿はありますか?」

「うん、あると思う」

「そしたらお願いしたいです!」

「うん。アレだったら乗ってる間にスマホで調べな」

50代後半ぐらいの仏のような顔をした男性に乗せてもらうことになった。
頭は坊主で、整えられた髭が似合っている。
話を聞くと、職業はお坊さんだと言う。
それを聞いて色々納得した。
止まってくれてから乗せてくれるまでの流れがスピーディーだったし、坊主だし、何より、何と無く雰囲気がどっしりとしているのだ。
それでいて、深い慈愛に満ちた目をしている。
そのお坊さんは、生まれた家が初めからお寺だったわけでは無いらしく、30代で出家をしたのだと言う。

「僕も、出家できますかね」

「うん。全然できるよ。人生の途中で出家してみるのも面白いぜ。色々勉強になる」

そのお坊さんはエネルギーに満ち溢れていた。
演劇やボランティア活動など、本業以外の仕事をなんでも請け負うと言う。

「俺も若い頃は車中泊で全国を旅してたからさ、色々大変だろ?行き先調べたりなんだりって。気持ちわかるよ」

このお坊さんともっと話したかった。
人生とか、生きがいとか、幸せとか、そう言ったことについてどう思っているのか聞いてみたかった。
30分程度の道中では、それは叶わなかった。
今晩の宿を新居浜市にある漫画喫茶に決め、それまでの間時間を潰すためにマックまで送ってもらった。

「すみません、僕、旅中にこう言うの集めてまして」

例によって『じゆうちょう』のお願いをしてみる。

「君へのメッセージを書けばいいの?あ、なに、俺の夢?オッケーオッケー」

僕の意図を汲んでくれて、お坊さんは以下のような一言をくれた。

「75歳まで現役でいこう!by58の俺」
「吾れ唯足る事を知る」

僕へのメッセージも添えてくれた。

「もうひとつ、お坊さんらしいことを書いてみた。君の歳じゃ、もしかしたらピンと来ないかもしれないけど、30超えた時とかにもう一度読み返してみて欲しい」

人は今の能力で出来る範囲のことしかできない。
だから欲を掻いて上へ上へと焦るのではなく、今の自分に出来ることをしっかりとやる。
そんなニュアンスだったと思う。
25歳の僕は、まだまだ人に褒められたり必要とされる経験が少ないから、自分が何のために生きているのかとか、まだ本気を出していないだけだとか、迷ったり、そんな自分に言い訳したりすることがある。

「微力ではあるが、無力ではない」

僕は社長の言葉を思い出した。
いずれにせよ、今の僕に出来ることをコツコツとやっていくしかない。
そう思うと、ヒッチハイクの旅に出たのも、将来何かしらの意味になっていく気がしてくる。
旅の動画を作品にすることも、バズらせて収益を得ることも、SNSで沢山の「いいね」を貰うことも出来ない僕だけど、この旅は無意味では無い。
そう前向きになれる言葉だった。

「マックに着いたよ。身体に気を付けて、旅を楽しんでください」

最後はお坊さんと固い握手をして別れた。
力強く温かい手だった。


✳︎

時刻は23時。
マックを出て吉野家で夕食を済ませた後、
ファンキータイムと言うファンキーな名前の漫画喫茶に入店した。
店内は案の定ガラガラで伸び伸び出来そうだった。
個室はなく、自分のスペースは簡易的な仕切りで区切られた狭い空間しかなかったが、ほとんど利用客はいなかったので全く問題なかった。
疲れていたので早々に就寝。

7日目に使用した金額、3,980円。
僕は1日2,000円ルールを1日4,000円ルールへと改定することにした。
明日は広島あたりまで行けるだろうか。
そうなると九州入りも近い。
ゴールが段々と見えてきた。

続く。

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