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「アイスクリームの歌」と日本の停滞感と承認欲求教育

こんにちは。

今回の内容は、子どもに承認欲求との向き合い方を学ばせないといけないのでは?という妄想垂れ流しの呟きです。

そんな考えに至ったのは、子どもと聴いていた童謡が出発点でした。みなさんは「おかあさんといっしょ」などで流れてくる『アイスクリームの歌』は知ってますか?

アイスクリームの歌

原曲に当たる曲はあるようですが、今の曲になったのは1960年だそうで、子どもたちに歌われて60年以上が経過している有名な童謡です。

作られた1960年といえば高度経済成長の真っ只中で、この4年後の1964年には東京オリンピックや新幹線の開通がありました。

物質的にどんどん豊かになっていく日本で作られたわけですが、むしろ明らかに成長の鈍化した今の日本や、失われた60年に突入するかもしれない僕らの子どもたちにこそ、知って欲しいメッセージが込められています。

歌詞

おとぎばなしの 王子でも
むかしは とても たべられない
アイスクリーム アイスクリーム
ぼくは 王子では ないけれど
アイスクリームを めしあがる
スプーンで すくって
ピチャッ チャッ チャッ
したにのせると トロントロ
のどをおんがくたいが とおります
ブカブカ ドンドン つめたいね
ルラ ルラ ルラ あまいね
チータカ タッタッタッ おいしいね
アイスクリームは たのしいね

おとぎばなしの 王女でも
むかしは とても たべられない
アイスクリーム アイスクリーム
わたしは 王女ではないけれど
アイスクリームを めしあがる
スプーンで すくって
ピチャッ チャッ チャッ
したにのせると トロントロ
のどをおんがくたいが とおります
ブカブカ ドンドン つめたいね
ルラ ルラ ルラ あまいね
チータカ タッタッタッ おいしいね
アイスクリームは たのしいね

おとぎばなしの 王子でも
むかしは とても たべられない
アイスクリーム アイスクリーム

アイスクリームの歌

日本の成長鈍化とは、豊かさの頭打ちが原因ではないか。

大昔は一国の王子ですら滅多に食べられなかったアイスクリームを、王子でも社長の息子でもない普通の子供たちが、普通の日に食べられることのしあわせを歌っています。

特に日本では、海外に比べてもこのような現象がいろいろな場面に存在しています。私も仕事でも何ヶ国も海外には行きましたが、日本以外の国では、「安いもの=不味いもの」なんですよね。うまけりゃ高くするよと。

対して日本では、美味しい水をお金を気にせず飲むことができ、最高のラーメンも1,000円前後で食べられ、吉野家に行けば400円程度で美味しい牛丼を食べることができます。もちろん10,000円以上するようなラーメン屋牛丼もありますが、それらが天下一品のこってり味や吉野家の頭の大盛りツユダクより美味しいのか?というと、そうでもない気がしています。

つまり、お金がなくても幸せになれる手段をたくさん持ってるわけですね。

エンタメもそうです。金持ちも貧乏人も、ONE PIECEやNARUTOが好き。

結局お金持ちしか楽しめない幸せって、ブランド品とかタワマンの眺めとか、無理やり作り出した価値、言い換えればここ100年くらいで作り出された価値ばかりで、幸せ度85点から95点に上げるのにすごい大金をはたいているような気がします。

言い換えれば、人間として大昔から大切にしている「うまい」「暖かい」「気持ちいい」「面白い」とかって、もう上限になっちゃってて、それをいち早く達成した日本は、もう成長に対するモチベーションが枯れてしまったのが、今の日本の停滞の理由なんじゃないかなって思います。

お腹の減ってない人に、ハングリーになれよ!!って言っても無理ですよね。単純な話です。

子どもたちの暮らす未来ではどうか

ここまでは、物質的な豊かさのいう指標をもとに「幸せ」を定義して来たよ、そしてその指標は85点超えてから伸ばすのが難しくなってるよって話でした。そもそも伸ばす必要すら私には懐疑的です。

Amazon primeで荷物が翌日に届く世界と、2日後に届く世界って、そんなに違いありますかね。頼む人が2日早く頼めばいいのでは?なんて思います。

一方で、仕事でも勉強でも趣味でも、人は成長やポジティブな変化を生活の張り合いにします。何も変わらない惰性は辛いです。

なので、これからの日本社会には、この指標とは別に、伸ばせる幸せの指標が必要なんだと思います。

子どもと承認欲求教育

となると、次の幸せの指標ですが、おそらくグローバル規模での表現•承認欲求が加速するものと考えられます。

生成AIがさらに進化するなかで、誰でも妄想をカタチにできる時代になります。そんな世界では、facebookのような自分自身への承認欲求に留まらず、自分を自分たらしめている「考え•妄想」を承認してほしいというきもちが強まると思います。

そんな時代を生きる子どもには、想いをカタチにするデジタルツールをとにかく触らせる機会と、そもそも表現するべき「考え」をカタチにする整理習慣を身につける必要があると思います。

そして、最も大切なこととしては、承認欲求との付き合い方を幼い頃からキチンと学ばせることだと思います。正しく使えばエネルギーになる欲求ですが、拗らせると目も当てられない行動につながります。

デジタルタトゥーの問題がありますが、今後は発信した内容がAIによって一瞬で解析され、他者からの判断材料に利用される監視社会に突入するでしょう。実際、私も職場で採用に関わったことがありますが、短い面接で相手を見極めることは難しいので、もし日頃の思想や習慣を合法な範囲内で確認できるのであれば、参考にしたいと思います。

そんな世の中で、醤油さしを舐めたり、アイスクリームの箱に入ったりするまでもなく、インプレッションを求めた過激な発言や、授業に行かない大学生の「ダメな自分アピール」レベルですら、百害あって一利なしの世界になります。最悪、他国の宗教上のタブーに触れて大きな問題に発展する可能性すらあります。

学校は間違いなくこういった方面のケアはしてくれないので、親が支援していくしかないでしょう。

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