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綿矢りさ『手のひらの京』を読んで

※ネタバレがあります

綿矢りさ『手のひらの京』

3人姉妹の人生の岐路に立ち会う小説

東日本で育った私が初めて京都に行ったのは、二十歳の誕生日の旅行だった。京都出身の友達や知人に案内をしてもらいながら、バスや自転車に乗ってぐるぐると回る京都。東京で知り合った京都の人々は口々に京都についての知識を披露し、どこか誇らしげな雰囲気を漂わせている。地方都市の港町で育った私は自分の街に愛着はあれど、人に疲労するほどのことはなに一つないので少々面食らったのを覚えている。
そして、何度か訪れる度に思う。やはり京都は特別だ。

この小説は京都で生まれ育った三姉妹が三者三様の人生を歩むストーリーだ。女の人生の機微を言語化してくれる小説が好きな私にとって、3人はそれぞれグッとくるキャラクターだった。
まずは長女の綾香は三十歳を超えて独身。図書館で働いていて、性格は大人しい。次女の羽依は勝気で華やか。男性にもモテる。三女の凛は理系の大学院生で就活中。真面目で外の世界に憧れている。

 私がこの本を手に取ったきっかけは『なぜオフィスでラブなのか』という本に羽依の恋愛模様が紹介されていたからだ。新入社員として入社して早々、教育係をしていた先輩社員と付き合い、そしていざこざに巻き込まれる。この先輩の男、前原は誰もが身に覚えのあるような嫌な男だ。「優しく頼り甲斐がありつつ親しみやすく人望がある男」だ。それに間違いはない。自分をそう見せようとする小狡さや他人よりも自分のポジションを優先しようとする姑息さが絶妙に描かれる。誰の人生にも登場する決定的に嫌なやつではないが、細かいところでボロが出る人間。前原は確かに前原が演じたいような素敵な人間像からはほど遠いちっぽけな人間だ。姑息で、生き汚くて、つぎはぎだらけな人間だ。でもそれの方が人間らしくて愛おしいではないかと思う。
 しかし、そんなことを思えるのは物語を俯瞰している読者だけだ。羽依は前原のせいで散々な目に遭った。新卒の新入社員で女性の同僚から京都式のネチネチしたいじめを受けるなんてことは想像するに絶望的な気分だ。物語全体のタッチが軽やかで暗い印象にはならない。そして羽依はお局たちに堂々の啖呵を切る。ロッカールームで先輩たちを怒鳴り散らすシーンは読んでいて痛快だ。

 私に一番歳が近いのは三十代の長女綾香だ。図書館で働く彼女は二十代のときに付き合っていた恋人と別れてから、しばらく恋愛をしていない。羽依から会社の同僚を紹介され、デートを重ねていくが、その心の揺れ動きは読みながら一緒にはらはらそわそわしてしまった。「この人のこと、好きかもしれない」「いきなり着物着たら引かれるかな」「また会いたいな」揺れる気持ちは恋愛に臆病で億劫になった人間には否が応でも響いてしまう。怖いけどワクワクする。楽しいけど不安。恋愛にアグレッシブな妹の羽依が視界にいるだけに、自分の億劫さに嫌気がさす…本当にうまく行って良かったね、と親友のような気持ちになった。

 三女の凛は理系の大学院生。姉ふたりが京都に生まれて京都に育ち、京都で暮らしていくことになんの疑問もないなかで、ひとりだけ上京で東京に行く決断をする。なぜ自分の生まれ育った土地から出たいのかということを言語化するのことは難しいように思う。その土地が嫌いなわけでもない。ただ、使命にも似た何かが外に出るようにと内側から湧き上がってくるのだ。心に残ったのは凛が京都の盆地をあらためて眺める描写だ。私も十年以上前になるが、東京に出てきた。上京する前、自分の育った街を取り囲む山の稜線や轟々と流れる川の流れ、荒涼とした海をよく眺めにひとりで高い建物に登っていた。離れることを腹に決めた人の目にはもしかしたら故郷の景色が別の表情を見せ始めるのかもしれない。

 三姉妹がそれぞれの人生の出来事に向き合う本作だが、親や祖父母がその背景で暮らしている気配が息づいている。父の定年に合わせて夕食作りを卒業することを宣言する母と人間味のある描写が魅力的な父はとても魅力的なキャラクターだ。物語は父の大病というエピソードで締めくくられる。
 家族は子供が産まれた途端に「親が子供を養い・守る」というのが基本の営業形態になる。しかし、子供はいずれ自立し、「子が親を養い・支える」というフェーズに徐々に移行するわけだ。この物語の最後はこの分岐点に差し掛かっているように思う。
 ゆるやかに営みの形を変えながら、遠くに住みながら、家族や故郷をどのように思えるだろうか。ちょうど歳のころが同じ、誰かの娘である私もぼんやりとそんなことを考える。

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