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京都が恋しい

4年間京都に住んでいた。

それから7年経ったが、毎年なんだかんだ京都に行く用事があって年に何回かは行っている。

京都に呼ばれているようで嬉しい。

でも、住む京都と行く京都はなんだか違っている。


旅行者として行ったときはあわただしく一日が過ぎて、京都の表面だけであしらわれている気がする。

「ようお越しやす」

そう言って、和紙で作ったお土産を見せ、抹茶アイスを食べさせ、お寺を歩かせる。

お香の匂いをかがせて、「京都っていいなぁ」と思わせる。


住んでいたとき、じっと京都の日が暮れていくのを眺めている内は、もっと違う顔を見せてくれていたような気がする。

朝になると霧の中にお坊さんが経を唱えながらどこからかあらわれる。

季節が過ぎると五山の字がぼやけていき、夏が近づくとまたはっきり字になる。

鴨川へ続く支流に橙色の実が流れてくる。

季節外には閉まっているはずの梅園に続く道が、なぜか開いている。


少し不気味なような、怖いような。

でも千年も人といて、何かあったかみのあるような。

そういう生き物みたいなところを見た。


「京都の人」は、もっともっと違う顔を見ている気がする。

いつかまた京都に住んで確かめたい。


だけどきっと何年住んでも本当の「京都の人」にはなれないと思う。

それぐらい、人を惹きつけておきながら、人を受け入れない京都。

そこがいいのだけど。

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