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40代でリ・デザインする自分のミライ -3-

経験の掛け算により、光明を見出す。

長年の度重なる激務は、佐々木の体を蝕んでいた。
「ある日突然、右耳が聞こえなくなりました。突発性難聴かと思い病院で検査すると、ピンポン球サイズの腫瘍ができていました。脳腫瘍でした」

8時間に及ぶ大手術を行い、半年間、療養した。仕事復帰後、最前線から外され、暇な部署に異動することになった。

「この時すでに、こんなハードな仕事を続ける気がなくなっていました。そもそも、特ダネ探しを求められ、追いかけることに興味はなかったですし。むしろ、この社会はどのように成り立っているのか? そういうことをテーマに書きたい気持ちが高まっていました」 

こうして長年勤めた新聞社を辞める決心をし、出版社のアスキー社に転職した。

ちょうどその頃、孫正義氏のソフトバンクや楽天、サイバーエージェント社などが頭角を現し、いわゆるネットバブルといわれた時代になっていた。
そんな中で、ITが世の中を変えると言われていたことに興味をもち、入社を決めた。

事件記者時代の過酷さに比べると、アスキー社での生活は楽になった。
しかし、10年以上に及ぶ過酷な生活は、まだまだ肉体に大きなダメージを与えていた。

潰瘍性大腸炎、特定疾患、心臓病と、立て続けに患い、またもや療養を余儀なくされた。
続けて体調を崩した経験から、生活習慣を徹底的に見直すことにした。毎日のランニングを始めて食事管理を行い、健康的な生活を続けることで、体調も回復してきた。

仕事に復帰すると、アスキー社では、編集者として企画を練り、パソコン雑誌を作っていた。
当時のパソコン雑誌に掲載される記事は、パソコンの組立方法のレビューや新製品発表の内容などが中心だった。しかし、その中で佐々木の記事はかなり異色だった。
例えば、開発が頓挫して世間から非難されたメーカーに行き、皆が聞きにくいことを取材して記事にするなど、元事件記者らしい取材力を十分に生かした内容だったのだ。

「当時のアスキー社にコンピュータの専門家はたくさんいましたが、相手が絶対に話したくないことを聞き出すような技術と経験がある人は、ほぼいませんでした。そんな環境の中で、事件記者だった私の経験は、武器になると確信しました。」 

コンピュータの知識は十分にもっていたとはいえ、コンピュータ専門誌の記者の中では、まだまだ抜きん出るほどではなかった。それを事件記者時代に鍛えた取材力で補い、独自のスタイルを確立させていったのだ。
そして経験と実績を積み、ちょうど40代になる頃、アスキー社を辞めて独立することにした。

「そもそもアスキー社に長くいる気はなく、フリーを視野に入れていました。ただ、やみくもに飛び出しても、すぐに仕事があるとは限りません。コネクションをつくりながら、これぐらいだったら食っていけるかな?という十分な準備をしてから辞めました」 

フリーになって数年は、ネット犯罪の記事を中心に書いていた。ネット犯罪はウイルスなどの知識に加えて、犯罪者を取材するスキルも必要だった。しかし当時、その両方のスキルを兼ね備えた人はいなかった。

「事件記者として自分より優れた人は、たくさんいました。ITに関しても自分より知識がある人は、たくさんいました。しかし、「IT×事件」に精通した人は、誰もいませんでした。」

折しも、メディア側もそんな人材を求めており、彼の専門性と希少性に目をつけたメディアからの依頼が増えていた。

「始めから戦略的に動いていたわけではないですが、今、思えば、これまでの専門性を掛け算した強みが、結果的に功を奏したのかもしれません。」

事件記者時代も、編集者時代も、彼はそれぞれの責務をしっかり果たすことで、知見を広げ、力をつけていった。
ただし、ここで見逃してはならないのが、新たな環境に身をおき経験を積むだけでなく、既存の経験も生かそうと考えたことである。

普通の感覚では、転職したら、まずは新しい環境に慣れることに注力する。新しい環境にフィットさせながら、ゆくゆくは自分の経験も生かせればいいか、みたいなことを考えがちだ。
しかし、ここで危険なのは、新しい環境に慣れさせ過ぎると、順応性の高い人は、良きも悪きも環境に慣れきることができてしまう。ただ、それが悲しいかな、あまりに順応し過ぎた結果、以前の感覚や経験が薄れ、かつての自分を見失い、うまく活かせなくなってしまう。
これではまずいし、もったいないことだ。

このような状況を回避するためには、新しい環境の現状を分析し、自分が補完できることを見出すことが必要だ。
この思考は、事件記者や編集者だけに限らず、他の職業でも十分に展開できるのではないだろうか。

【続きます】

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