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40代でリ・デザインする自分のミライ -4-

脚本通りではない、自分なりのアプローチとは。

劇作家の前園ノリゾウは、経験とスキルを兼ね備えたバリバリの40代。それなりに歳を重ねてくると、後輩諸君からは、いつしかそのように言われることが増えてくる。彼らからしたら、そのように経験豊富たのもしく見えることがあるのかもしれない。しかし、聞こえはいいが、当人としては、そんな意識はまったくなく、その時々を自分なりに生きてきただけだ。同世代の人たちも、おそらくそんな感じだろう。そんな前園にも、もちろん幾度の岐路はあった。

「自分以外の彼らは、しっかり自分の人生と向き合っていました。そんな彼らに反感や孤独感もなく、不思議と静かに状況を受け入れましたね。もともと来るもの拒まず去るもの追わず、なタイプなので」
前園が30代になる頃、20代から一緒にやってきたバンドのメンバーたちが、彼のもとを去った。定職に就いて結婚する者、この先を考えて上京を目指す者など、前園以外のメンバーたちは、自分の思う未来に向けて、舵をきっていった。

そんな渦中、前園は初めて演劇に出会うことになる。
鬼才、寺山修司が主催する劇団天井桟敷の舞台で生の演技を見たのだ。
「衝撃でした。しかし、それよりも、演劇はどうやって作られるかに興味をもちました。よくテレビとかで見るように、ジャージを着て稽古とかするのかなって(笑)」

これを機に、劇団「よしもとザ・ブロードキャストショウ」主催の養成所で、役者としての基礎を1年ほどかけて学んだ。その流れで劇団の役者として歩むすはずだったが、思うところがあり退団した。
そんな時、かつての劇団仲間から大阪 鶴橋のお祭りイベントでやる、コントの脚本執筆を依頼された。

「まったく初めてで何もわからないまま、彼らが面白いことをやれればいいと思い、その場のノリで書きました。今思えば、よく書いたなって。誰かに習ったわけでもなく、すべて我流でしたから…。」
これをきっかけに結成したのが、コメディを中心に、お芝居からコントまでをこなす5人の演劇ユニット「secret7」である。
secret7は2005年に初公演を行い、順調に公演を重ね、集客も増えていった。

そんな絶好調のsecret7に、暗雲が立ち込める。
メンバーの一人、マシオが脱退することになったのだ。
仲違いしたわけでもなく、メンバー間の関係は良好だった。
しかし、マシオ自身に、本来の役者業に力を入れたい決意があった。
この強い決意を受けて、「来るもの拒まず去るもの追わず」の前園としては、慰留するわけにもいかなかった。

「ただ当時の彼を、自分が書いたもので納得させられなかった悔しさはあります。曲がりなりにも書き手として、演出家として、全体のオーガナイズをやっていた者としては、悔しさが残ります」
マシオと同じ情熱でやれていると信じていたが、思い上がりだった。彼が役者としてやりたいこと、前園がメンバーに求めること、その両者に乖離があったのかもしれない。

「その時、思いました。自分は誰かに習ったわけでもなく、すべて我流でやってきた。行き当たりばったりでここまできて、何のバックボーンもない。だから、力が足りないのではないか」
それほどマシオが抜けた衝撃は大きく、書き手として確固たる理論がない無力感に苛まれた。
だが、このような苦難にもめげずsecret7は活動を続け、13年間で17回の公演を行い、3日間4公演で最大500人を集客するほどの人気演劇ユニットに成長した。

前園が40代になると、転機が訪れた。
知人の依頼で、ある芸能事務所の若手対象に演技指導をすることになった。
対象は中学生など、もはや自分の娘ぐらい年頃の若者だ。
「事実は小説よりも奇なり」と言うが、あれほど自らの道を進んでいた前園に、まさかのオファーがくるものだ。

「我流でバックボーンもない自分が、なぜ若手を教えるのか?この疑問は消えません。自分は有名人でもない。最初はそう思いました。けれど思い直して、ならばと、ひとりの演出家を演じる気持ちで指導しています」
あれほど、自らのバックボーンを気に病んていた彼が、他人の指導をすることになる。そのために、まずは役割を演じることから始めている。それでは、どんな指導方法をとっているのだろうか?

「自分の脚本を課題に演じてもらいますが、一つ注文をつけます。脚本のままでなく、自分なりのアプローチを示せと」
これは、secret7の稽古でも同じ姿勢でやっている手法だ。

「せっかく、いろんな人が関わるならば、皆で自分なりのアイデアを持ち寄って創る方が絶対に楽しい」
稽古では、役者が演じきることを重視し、演技に合わせて脚本を変更することもある。
役者もやりきり、演出家も応えようとやりきる。この姿勢は、指導でも稽古でも変わらない。
誰かにやらされるわけでもなく、ただ単なるタスクをこなすわけでもなく、自分ごととして、自分に落とし込んで、やりたいようにやりきる。
やりきった手応えさえあれば、自らのバックボーンで引け目を感じたことなど、いっときは忘れられる。

よほどの自信家でない限り、自分の中で確固たるスキルや経験をもち、それを自覚の上で事を進めることができる人は多くはないだろう。
しかし、ひとりの作業者から管理者や指導者にワークスタイルが変わっていくと、これまでのやり方もしくは考え方、そのどちらか、あるいは両方を変えていかねばならない時が必ずくる。
そのとき、どうすればよいのだろうか?

前園は、個々の自主性を重視した。自身の方針がベースにはあるが、スタッフの思いやアイデアを加えて、相乗効果を狙う。それは単に組織的なメリットだけでなく、組織を構成する個々のメンバーの自立心や自尊心、達成感を満たすことにもつなげている。
自分の思いも遂げながら、周りの人も活かす。言葉だけでみると理想論かもしれない。しかし、組織人にしろ、フリーランスにしろ、事を成そうとするならば、自分以外の他者の協力は必須だ。その際、いかに他者が納得した上でタスクを処理してもらうようにするか。それを考えて手を動かすことが、他者だけでなく、自分の可能性も広げることになる。それを積み重ねていくことで、ゆくゆくは自分の屋台骨となるのではないだろうか。

【続きます】

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