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お手製カレーとご機嫌な祖父

私の祖父は、料理をほとんどしない人だった。けれどカレーだけは唯一、“祖父の担当”と言っていいほど毎回祖父が作っていた。

もとはと言えば、主に料理をしていた祖母が祖父を台所に入れるのが嫌だったようで、物理的にも料理から遠ざかっていたのだ。でもカレーには彼なりにこだわりがあると祖母も分かっていたようで、カレーの時だけは台所が祖父の独壇場だった。

祖父が作るカレーの日は、月に一度はあったと思う。「今日はカレーだよ!」と出かける前に声をかけられた時もあるし、予告なく食卓に並んでいた時もある。いずれにせよ私は、祖父のカレーがとても好きだった。


祖父が作るカレーにはフルーツが入っている。だから今も、強く記憶に残ったまま。

りんごとバナナは常連だった。それ以外も入れたことがあったのかもしれないけれど、残念ながら私は覚えていない。

りんごとバナナは、おろし器ですりおろすと決まっていた。バナナについてはすりおろす、というより、凹凸に押し付けて潰しているようだったが。

今思えば、なんでミキサーじゃなかったのだろう。とはいえひとつひとつ丁寧に、おろし器でフルーツをすりおろしていたおかげで、祖父の姿は私の大事な記憶として残っている。りんごをすりおろす“シャコシャコシャコ……”という音ごと、まだ忘れてはいない。


他の工程は、一般的なカレーと同じだった。野菜を切って、お肉と炒めて、水を加えて煮詰めるときにすりおろしたりんごとバナナも加える。最後にカレールウを入れる。ここで独自配合したスパイスを入れるとか、そんなところまでは凝っていない。祖父のことだから、先の未来では手を伸ばしていた可能性は十分ある。

カレールウは、甘口ではなかった。フルーツの甘みが加わるから、甘口と中辛を混ぜていたか、中辛だけだったか……。たぶんどちらも正解で、その時の祖父の気分次第。


味はもちろん美味しかった。カレーのほどよい辛味と、食べた後に残るフルーツの甘み。入れるフルーツの量が毎回微妙に違うから、バナナの甘さが強く残る時もあれば、りんごのさっぱりさが残る時もあった。子どもでも微妙な違いは分かるもので、面白いなあと感じていた。

正直、家で食べるごはんがあまり好きではなかった私。でも祖父のカレーを食べるのは好きだった。味が美味しいのはもちろんだけど、カレーの日の祖父は一段とご機嫌だったから。それが何より私の心を動かしていた。

そもそも祖父が喜怒哀楽を激しく表現しているのを、私は見たことがない。少なくとも私の前では、いつもにこにこしていた。そしてカレーを作るときはさらにご機嫌だったのだ。私には、彼がうきうきしているようにさえ見えた。

晩年は入退院を繰り返していて、一時帰宅したタイミングでもフルーツ入りのカレーを作っていた。本人も思い入れがあったのだろうな。


身近な人がご機嫌だったことを覚えているって、記憶として最高だなと思う。時間をかけてキッチンに立っている姿。美味しそうに食べる私や家族の顔を見ている姿。カレーとともに思い出される祖父の表情はどれも満足げで、その記憶をいの一番に呼び起こせるって、なんて幸せな記憶を残してくれたのだろうと思う。

そういえば一人暮らしデビューをした時、祖父のカレーを真似して作ったっけ。いつのまにか作らなくなってしまった。今度久しぶりに作ってみようと、カレールウの残りを見つけて思ったのでした。



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