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サンドリヨンに捧ぐ

妖精たちの恋愛小説です。
遅ればせながら、最近になってようやくSaucy dogの「シンデレラボーイ」を聞きました。
サビとタイトルだけしか知らなかったのですが、結構ドロドロしてますね。
本作にも少しだけ歌詞の内容を反映しています。


 木漏れ日に照らされて眺める緑。生い茂る草にも、咲き誇る花にも、そそり立つ大樹にも、至っておかしな点はない。平穏そのもの、と言うべき光景である。この森は文明社会から隔絶された、いわゆる未開の地だ。人の出入りなど皆無に等しい隠された森林。僕はここの妖精として生まれ、植物たちの維持管理をしている。唯一にして絶対の存在意義――或いは使命だ。故に僕の居場所は、ここ以外にあり得ない。

 今日は空気が暖かく、天気が荒れる予兆も皆無だ。このような状態がいつまでも続いてくれればいい。刺激や変化は少ないが、安寧と無事に勝る幸福を僕は知らない。大木の枝に腰かけながら、こうして物思いに耽るだけでも十分である。

 瞑想と呼ぶには雑多な思考を巡らせ、幾ばくかの時間が過ぎた。太陽が空の天辺に輝くのを茫然と見ていると、聞き慣れない音が耳に届く。これは……歌? 誰かの歌声か。この近くに人がいるなど珍しい。かなり距離があるようで微かに聞こえる程度だが、それでも下手でないことは伝わってくる。とはいえ、こちらから積極的に探す理由はない。特にこれといったものもない土地だ、そのうち遠ざかっていくだろう。

 そんなこちらの予想とは裏腹に、声はどんどん近付いてくる。僕の困惑をよそに旋律は迫力を増していき、遂にははっきりと詩が聞き取れるまでになった。いったい何者なのかと周囲を見渡すが、誰もいない。流石に警戒すべきか。そう身構えた刹那、頭上から声が聞こえた。

「あれ、私と同じだ」

驚いて上げた視線の先には、羽を広げて宙に浮く謎の少女がいた。

「……君は……」

「ああ、ごめんごめん。驚かせちゃったよね。私はアスティール。歌の妖精だよ。キミは?」

 にこやかな笑顔でこちらに近付いてくる。白い髪に琥珀色の瞳。僕とは真逆の色調だが、自己紹介と背中の羽のおかげで「私と同じ」の意味にようやく合点がいった。しかし、何故この森に突然やってきたのか。

「……僕はグリジアだ。それより、どうしてこんな僻地に?」

「私、色んな場所に行くのが好きでさ。いつものように飛び回ってたら、偶然ここを見つけたの」

 何というか、気ままな性格をしていそうだ。敢えて言うならば自由人か。

「それにしてもここ、綺麗だね。自然が豊かで彩りもあって。空の上からでも分かるよ」

「そんなに? まあ、そう言ってくれると森の妖精としてはありがたい」

「折角だし、この景色も歌にしたいな」

 景色を歌にする、とはどういうことだろうか。未知の概念に思わず聞き返す。同時に、彼女はゆっくりとこちらに降りてきた。

「歌に?」

「うん。私、歌の妖精だからさ。見たり聞いたりしたものを、歌にして色んな人に届けたいの」

「詩的だね。さっきのもそうなのかい?」

「勿論! あれはこの間行った国で見た、お祭りのことを歌ってるんだ」

祭り。ここにいると無縁な単語だ。好奇心をくすぐられている気がする。

「言葉としては知ってるけど、見たことはないな。どんな感じだったの?」

「それはもう華やかだったよ! お酒にお肉に、美味しそうなものがずらりと並んでて……」

 それからしばらくは、アスティールの話を興味深く聞いていた。ここにいるだけでは決して見聞きできない話が次々に出てきて、とても想像力が働いた。彼女はきっと、僕よりはるかに多くのことを知っているんだろう――そんな感想を抱かずにはいられなかった。

「グリジアは遊びに行ったりしないの?」

「大体ここにいるかな。植物たちの世話もあるし、何よりこの森が落ち着くから」

「そっかー、それだと中々離れられないよね……あ、そろそろいい時間かな」

 やや傾いている太陽を見て彼女が呟く。直後、ふわりと宙に浮いた。

「もう少し居たいところだけど、これから寄りたい場所がいくつかあってさ。今日はありがとう!」

「こちらこそ」

「じゃ、またね」

 別れの挨拶を済ませると、アスティールはどこかへと飛び去って行った。こうして誰かと言葉を交わしたのはいつ以来だろう。ましてや腰を下ろしてゆっくりと会話をしたのは、初めてかもしれない。彼女が積極的に話を振ってくれる相手で助かった。

そういえば、「またね」と言っていた。もう一度ここに来たいと思ったのだろうか。まあ、どうせ忘れてるだろう。




 じっとりとした熱気が体を包む時期。大地を彩る花々も少し前とは違う顔触れだ。灼熱とも言うべき日差しに根負けして、元気をなくしてしまう植物も散見されるようになる。そんな時こそ潤いが欠かせないのだが、雨とは気まぐれなもの。こちらが望む時機に降り注ぐことはそう多くない。やや萎れた花の先を撫でながら、必ず訪れるこの猛暑に憂いを帯びている。そして、それは僕だけではないようで――

「暑いね……空を飛ぶのも一苦労だよ」

 木の幹に寄りかかる彼女もまた、熱気から逃げるようにここへ来ていた。まさか本当に再訪するとは思ってもみなかったが、この場所も僕の名前も覚えていたようだ。しかし当のアスティールはそんな戸惑いなど知る由もなく、僕に疑問を投げかけてくる。

「グリジアは暑くないの?」

「全く暑くないわけじゃないけど、ここにいる草木たちはもっと苦しいだろうし……まだ恵まれていると思えるかな」

 妖精は厳密に言うと生命体ではないため、この熱気も快か不快かという程度の問題でしかない。しかし、命ある存在にとっては気温すらも脅威になり得る。それを間近で見ている身として、彼らを差し置いて弱音を吐くことは出来ない。

「確かに、私たちは暑すぎて倒れたりはしないもんね。じゃあどんな日でも、この子達のお世話は欠かさないんだ」

「勿論。彼らあっての僕だからね」

 すごいなあ、と感心したように呟くアスティール。自分にとって当たり前の日常なので、正直何がすごいのかよく分からない。僕にしてみれば、世界中を飛び回っている彼女の方がよほど「すごい」と思う。

「君の方が立派だよ。歌を届けるという使命を忘れずに、色んな地を訪れているんだろう?」

「使命……とは少し違うかな。確かに私は歌の妖精として生まれたけど、歌うことを義務のように思ったことはないよ」

「だって、歌うのは何より楽しいから」

「楽しい……」

 考えたこともないな。たぶん、そういう感情の機敏は僕にはない。中々に落とし込むのが難しい概念だと考えていると、彼女は思い出したかのように話題を変えてきた。

「ところでさ、時々遊びに来てもいい?」

「えっ、なんで?」

「うーん、説明するのは難しいけど、また行きたいなって思ったから。だからさ。それに、グリジアに聞いてほしい歌もあるし。ダメかな?」

「ダメではないけど……ここ、かなり辺鄙な立地だよ。いいの?」

「気にしないよ。遠出なんていつものことだから」

「分かった。気が向いたらいつでもおいで」

「やった!」

嬉しそうに手を挙げるアスティール。そんなに喜ぶようなことでもないと思うが。まあ、近くにいて嫌な相手ではないし、歌も聞かせてくれるし、こちらとしても断る理由はない。ここにいる生命を大事にしてくれるなら、それでいい。

 ひとつだけ気になるとしたら――彼女がここに来る動機だ。本人は上手く言語化出来ないでいたが、やはり「楽しい」からなのだろうか。




 今日も美しい歌声が聞こえる。微かに揺れる草花は、真水のように透き通る美声に感動しているように見えた。心なしか木漏れ日も温かく、木々を飾る葉も瑞々しい。最高の状態を保てるように手を加えていることを差し引いても、あの子が来るとこの森に活気が宿るような気がする。

「ご機嫌だね」

「山と山の間に虹が架かっててさ。珍しいからついはしゃいじゃった」

 本人の言うとおり、その歌は空に架かる七色の橋を主題にしたものだった。ただ景色の素晴らしさを伝えるだけでなく、アスティールの感情の機敏までもが想像できる、そんな歌だった。彼女がここに来てくれるようになってから、以前よりも色んなことを知った気がする。この森の外に出たことがない僕にとっては、彼女との交流がそのまま外の世界との接点にもなっているような状況だ。だからこそ、アスティールと共にいる時間は退屈しないのだと思う。

「あ、頭に葉っぱついてる」

「どこ?」

「てっぺんのところ」

「ほんとだ……気づかなかった」

 頭に手を伸ばすと、小さな赤い葉が一枚落ちてきた。もうそんな時期になったのかという感想を抱きつつ、軽く礼を言って話題を変える。

「そういえば、前に言ってた花とよく似たものがこの辺りに咲いてたよ。遠い島国で見た、三角形の花びらが三枚付いてる…」

「本当? どこ?」

「確か向こうにある。行こう」

 木の枝を器用に避けつつ、彼女は羽根を畳んでこちらに降りてきた。その華麗な身のこなしは、まさしく踊る蝶といったところか。他愛のない話をしている内に、件の花のもとへ辿り着いた。二人揃ってしゃがみ込み、花をじっと見つめる。

「あー、これだ! 形が独特だからもう一回見たかったんだよね」

「見せられてよかったよ。この花、一度咲くと次に太陽が昇る頃には萎んでしまうから」

「そんなに短い間だけ……何だか寂しいね、それは」

「確かにね。だからこそ、僕にはこの花が力強く見えるんだ」

「そうなの?」

「ああ。例え短い栄華だとしても、その瞬間を全うしようとするのはとても誇らしいことだと思う」

「そっか。そうだよね。花は花なりに、一生懸命生きた証を残そうとしてる。……やっぱり、グリジアに聞くのが一番だな」

 何故、と聞き返すよりも早く、彼女は言葉を紡ぐ。

「同じ内容でも、自分で調べるよりキミから聞いた方が面白いし。さっきみたいに前向きな言葉で語ってくれるもの」

「何だよ、急に……僕は森の精霊だ。花の説明くらいなんてことはないよ」

 急に褒められると何だかむず痒い。それに、「一番」か……。君から見えている僕は、一体何が抜きん出ているんだ? 問いかけるか迷っていると、肩ほどまである髪を揺らしてアスティールが立ち上がった。

「そうだ。もうしばらくしたら、流星群が見られるんだ」

「へえ、どの辺りで?」

「海の向こうの国だよ。この時期は涼しい夜が続くから、天体観測には丁度いいんだって」

 正直、少し気になってはいる。だが、言葉にするのは躊躇われた。ここで「行きたい」と言えば、僕の存在意義に背くことになる――そんな気がしてならなかった。

「……また感想を聞かせてくれ」

「勿論! 最高の歌にして届けるよ」

 それからしばらく、アスティールは姿を現さなかった。奔放な彼女のことだ。きっと世界中を駆け巡っているのだろう。そう思えば気にならなかった。だが今までとは違って、一人でいる時も些か情緒が忙しい。「一番」と評された時に覚えた、言いようのない温かさ。責務よりも我欲を優先しようとした自分への驚き。どれもこれも初めて湧いてきた感情で、何だか奇妙な気分だ。

僕の知らない僕がいる。




 数多の葉が熟れるこの時期。久しぶりに会ったアスティールは、今まで耳にしたことがないような歌を口ずさんでいた。一言で言えば、悲恋。ある少女が魔法使いに恋をしたが、その魔法使いはとんでもない遊び人だった、という話である。弄ばれていると分かっていても離れられない。理性で感情を突き放そうとしても、感情は理性を抱きしめたまま。そんな複雑な心情を表した詩を、その美声に乗せて遠くまで届けていた。

「珍しいね」

「たまにはこういうのもいいでしょ」

 彼女がここまで「悲しい」という感情にフォーカスした歌を口にすることは一度もなかった。雄大な自然に、人々の営み、日々を懸命に生き抜く生命。そういったものを俯瞰して僕に見せ続けてきたアスティールは、一体何を思ってこの物語を音にしたのか。彼女の表情も、心なしか曇って見える。

 旅先で交流した誰かの体験。寓話を基にした創作。いくつか可能性は考えられるが、どれも腑に落ちない。一人称で綴られた慟哭は、生々しさすら感じられるほどに等身大だ。もしかすると、これは――。


彼女自身の体験なのではないか。


 そんな推論に至るや否や、心が冷たくなった。僕がこの森に籠っている間、アスティールは親密になれる相手がいたのか? それとも、初めて会った時からずっとそうだったのか? 雑多な詮索が一瞬にして頭を満たす。何の確証もないのに、何の理由もないはずなのに、嫌な感情が湧き出てくる。分からない。ただの思い込みでしかないと一蹴できるはずのそれが、自分でも分かるほどに思考を鈍らせる。

「……おーい、聞いてる?」

「ああ、ごめん」

 随分長い間黙り込んでいたようで、アスティールが心配そうにこちらを見ていた。慌てて返事したが、彼女の瞳を捉えることは憚られた。僕以外の誰かに向けられているかもしれないその視線を、僕は浴びたくない。その考えは、なんとも無様な声色となって歌の妖精に届いてしまった。

「……あのさ」

「何?」

 一度口に出してしまった以上引っ込めることは出来ない。どうにかして誤魔化さなければ。

「今日は、その、嵐が来るかもしれないんだ。この辺りは急に空模様が変わるから、早めに帰った方がいい」

「え、そうなの?」

 咄嗟に出た言い訳は、なんとも稚拙な嘘だった。

「ああ。確定してるわけじゃないけど、どうにも向こうの空が不穏だ」

「そうなんだ。グリジアはどうするの?」

「植物たちが心配だから残るよ。身を守る手段はあるから大丈夫」

「分かった。教えてくれてありがとう。グリジアも気を付けてね」

 飛び去る彼女を見送った途端、ため息が出た。最低だ。騙してしまった。善意の塊のような少女を。植物たちを引き合いに出してまで、自分の感情を整理するためだけに追い返した。僕にとっての宝物を、僕自身の手で貶めたんだ。なんであんなことをした? 今まで知らなかっただけで、僕の性根はこんなに浅ましいのか。それならば、ずっと一人でいるべきだ。

 こんなに醜い自分は、見るに堪えない。




 アスティールと逃げるように別れてから、太陽と月は何度入れ替わったのだろう。一人でいる時間がこんなに長く感じるのは初めてだ。意味もなく森の中を歩いては空を見上げ、また足を動かす。この繰り返し。自分から突き放しておいて、いざ姿を現さなくなったら勝手に気落ちする。彼女が見たらなんと言うか想像もつかない。漠然とした不安だけがそこにある。

 少し前まで義務も同然だった草花との触れ合いは、今や気を紛らわすための手段になってしまっている。森の妖精がこんなことでいいのだろうか。あの子に対する感情が、僕という存在を矮小に感じさせる。半ば闇雲に木々の間を彷徨うさなか、視界にほんの僅かな違和感を覚えた。

 その正体はすぐに分かった。小さな純白の花弁をドレスのように纏う、やや背の高い花。それ自体は別に珍しいものではない。しかしこの時期に咲く種類ではないはず。よく似た別のものかと近くで観察するが、どこにも違った点は見受けられなかった。

 一体どういうことなのだろうか。気温や気候の関係で多少群生が変化することは珍しくないが、特定の一種だけ外れた時期に花を咲かせている光景など初めてだ。もう少し詳しく調べる必要があるだろう。


 何度か検証を繰り返した末に出た答えは、なんとも再現性の低いものであった。偶然日陰に根を張ったことで開花の時期が遅れ、近くの木の枝から落ちてきた朝露や雨粒などを吸って育った。長年この森に住んでいる者としてはにわかに信じがたいが、そうでもなければ説明がつかないのである。

 まさか、この僕が植物のことでこうも思い悩むとはとは。中々に面白い時間だったと思いつつ件の花を眺めていると、どことなくアスティールに似ている気がした。天に向かってまっすぐ伸びている力強い姿。可憐さと美麗さを兼ね備えた唯一無二の純白。彼女は今どこで何をしているんだろう。思えば、彼女について知っていることはそう多くない。

 今までずっとそうだ。アスティールが見聞きしたものについて聞くことはあっても、彼女自身のことを話題にしたことはほとんどなかった。それなりに親交を深めたつもりだったが、僕が知っているのはほんの一部でしかない。

 それに気づいた時、ふっと目の前が明るくなった気がした。自分の気持ちも、植物たちの性質も完璧には分かっていないのに、どうして他人の内面を全て理解した気になれるのだ。ここにいる間でさえ、さっきのように未知の事態が起こりうるというのに。

 僕は怖かったんだ。自分が無知であることを知るのが。小さな世界の中で生きていることに気づくのが。アスティールにとっての「一番」じゃなくなることが。彼女との会話の中で、気づく機会はいくらでもあったというのに。いや、本当はもう知っていた。見ないふりをしていただけ。たったそれだけのことを自覚するのに、こうも時間がかかるとは。

 僕の知らない僕を、ようやく見つけられた。




 赤くなった葉が落ち、再び緑が芽吹く頃。やや暖かくなった風に包まれて、木々も嬉しそうに揺れている。気候が穏やかになるこの時期は、僕にとって何より待ち遠しい。

「久しぶり。この辺りもだいぶ緑が多くなったね」

「だろう? 植物たちにも活気が宿る良い時期さ」

 あれからもアスティールは、変わらずここに来てくれている。彼女の歌を聞いて、他愛もない話をして、緑を愛でる。今までと変わらない過ごし方だ。森の妖精としての使命を蔑ろにはしないし、彼女がここに来ることも拒まない。何も変わらない日々だ。だが、一つだけ違うことがある。

「ここに来てくれたってことは、そろそろか」

「そうだね。もうすぐ始まるよ」

「楽しみだな。君の言う祭りがどんなものか」

「グリジアの方から聞いてきたときは驚いたけどね」

「……嫌だった?」。

「全然! むしろ興味を示してくれるのは嬉しいよ」

 アスティールの見ている世界を、そして彼女自身を、もっと近くで感じたい。そんな思いを自分なりに表せられるようになった。本当に少しずつだけど、それでもいい。正直になるのはとても勇気がいることだし、何より――

「ふふ、ありがとう。さて行こうか」

 それまで僕の周りにあったものも、大事にしていきたいから。


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