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生きる権利と死ぬ権利

こんにちは。

昨日から嘱託殺人の件でNEWSがこのあたりの話題で湧いております。

僕もnoteの中で何度か”死ぬ権利”について書いたと思っています。
基本的には、僕は人はこの権利を保持していると考えています。

ですので、それが正しい権利主張であれば幇助に罪は問わないのが当たり前だと思いますし、むしろ積極的に協力する法制度にも変えてほしいと思います。

かたや、その意志が本当に正しい主張であり、本心であるのか?
に同時に疑義を持っています。

というのも、人間の考えなんて一瞬一瞬で変わるものですし、”本当の”とか”真の”とかに形容されるような意思など存在するのか? に疑問があるからです。
免許証の裏には脳死時の臓器提供意思を伝える項目があります。
免許証の有効期限は最大5年間。5年間の一瞬一瞬でその考えが変わらないことが証明できるでしょうか?

先日若い俳優が自死した際の、佐藤さんのこのコメントが大きく頭に残っています。

皆が悲しんでいる姿を見て一番悔やんでいるのは春馬お前自身の筈だ、そうだろ。

こういうことだと思う。

人間の考えなんてそんなに固い物じゃないから、衝動的に、一瞬の思いつきで、その積み重ねで、単に行動したことが不可逆的なことだったということもあるだろう。

必ずしも、自覚した、確固たる、長年の考えを元に行動することばかりでない。

加えて、仮にそうだったとして、、、
人間の考えなんて、自分で考え出しているように錯覚しているが、その殆どは環境や社会的に生み出されたものに強大な影響を受けた結果であり、本当に自分が決定しているのかというとそうではないと考えています。

僕は自己決定、自己責任を否定したい。

結果責任は否が応でも取らなければならないのは仕方がないが、そんなに自分自身だけですべてのことが決められるほど、人間なんて大した存在ではない、自分自身に対する過大評価だと考えています。


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