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誇り、プライド

ある程度の年齢になってくるとそれなりにプライドのようなものが出来上がってくる。これを傷つけられると腹が立ったり、落ち込んだり。

人は、と思ったけど、他人のことは良くわからないので自分のことについて書いてみる。子供のころ、喧嘩のネタはだいたいこのプライドを傷つけられたことが原因だ。何かしら自分にまつわることで小馬鹿にされたことで爆発的に怒り、喧嘩へのつながる。今でもその感覚はリアルに覚えている。

私は他人から感謝されたり、必要とされることでその自分の存在意義を確認し、安心出来るし幸福を感じる。逆に無関心、無視は非常にきつい。もしディスられたとしてもそれなりの理由がわかっているほうがまだ耐えられる。

振り返ってみると私は挫折の連続だった。私立中を目指し中学受験したが、どうしても入りたい学校ではなく、なんとなく親が薦める学校を受験した。少し憧れていた(これもやや親に刷り込まれた感があるが)学校は算国2科目の受験科目だったのだが、国語が得意で算数が苦手だった私が受験するにはリスクが高いという塾の指摘があった。そこで受験科目が4教科だった中学に変えた、という側面もある。

中学から高校へは内進生として一応受験があった。ほぼ全員高校に上がれるのだが理数科と普通科があって、成績の良い連中は理数科に進学した。私は理数科受験をして不合格、普通科に進む。

中高とも授業は能力別クラスで、成績順にクラスが決まった。定期考査で上がったり下がったりするのだが、私は得意な英語でも上から2番目のクラスがほぼ定位置だった。

大学は現役の時は国立大医学部を受験し失敗、一浪して医学部ではなく獣医学部に進学した。これはまあまあ楽に入学が出来たが、一浪してるのだから当たり前と言えよう。

大学生活はほぼ順調だった。6年制の大学で3年の冬、スキー事故により生死の境をさまよったのはプロフィールにもある通り。受傷した内容を考えれば非常に奇跡的なのだが、これが肉体的にも精神的にもかなりのダメージで、ある種の挫折とも言えよう。卒業時に獣医師国家試験を受験したが失敗し、これも大きな挫折だ。なんでもないように振舞っているが、私の過去振り返りのなかに大きな影を落としているのは確かだ。

人づてに今の業界に潜り込み、主としてアウトソースベンダーとして営業の世界で役割を果たしてきたが、順調満帆とは言い難い。そのときどきで大小さまざまの挫折を経験してきた。

何もかも投げだしてしまいたいと思うことは本当にたくさんあった。だが一方でそれをさせなかったのは自分なりのプライド・誇りを持っていたからだと思う。そしてそれを形成する主たる要因は周囲の人々のサポートだ。

私に仕事を依頼する人、私を雇ってくれる人、私の経験に価値を見出してくれる人、そしてその様々な経験のタネを提供してくれる人。

結局のところ私を「武田さん、武田さん」を声を掛けてくれる人々に助けてもらっているのだ。つまり私を形作るのは私の周囲の人々、というわけだ。

これから何をしたいのか、どっちの方向に行きたいのか、今年50歳になるというのに全く見当がつかない。四十にして惑わずというが、五十にしてまだ惑っているのだ。ただ、これだけは言える。

周囲の人々のために。

真摯に、謙虚に。

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