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東郷健と世界を旅するオカマたち②

どぎつい電飾がまぶしい夜市、肉の焼ける匂いと香辛料の匂いが立ち込める賑やかな屋台の街を抜けて行きます。
ゲイとレズビアンが集まるというその店は、もちろん看板もなく灯りもつけていません。
さびれたビルの真っ暗な階段を降りて行くんですが、扉を開けると別世界。昭和のど田舎のナイトクラブみたいな風情なんですね。
かなり広く全体に暗く、ミラーボールの下、安いビブラートを効かせた生のエレクトーンが地元の流行歌を響かせていました。

日本からやって来た性別不詳の東郷一座は、広いボックス席に通されましたが、すでにキョロキョロと落ち着かない様子でした。
よく見ると、真ん中のホールで、中年男性二人が頬寄せ合ってチークを踊っています。
その奥にレズビアンらしき鳳蘭似の女性、女子数人に囲まれハーレムよろしく談笑中。
暗闇には点々と、おもに男同士が寄り添う妖しい影が、無数に見えます。
目の上を真っ青に塗ったドレス姿の女装の店員が、客の影をさーっと突っ切って、無愛想に紹興酒とつまみの乾き物を運んで来ました。

仲間のような女装の店員を目にして、一行は安心したのか、新宿の街に帰ったような振る舞いになりました。
無口で店内をくまなく見回し客を物色しています。もうこの時点で、取材なんてどうでもよくなっていましたね。
ほら、昔は表向きは福利厚生の一環で、実は買春ツアーみたいなのがよくあったでしょう。東郷ツアーの実態も似たようなものです。自費でしたけどね。

私はと言えば、こういう店で楽しめる方じゃないので、黙々と紹興酒を飲んでいました。
飲みながらノンケ山田のおじさんの、「俺は今でも週に一回ケンカして勝って、週に一回違う女と寝て」とかいう、どうでもいい話を聞いていたんですが、はっと気がつくと、私と山田のおじさんだけが取り残されていたんですよ。


他のメンバーはあちこちの席に散って、ボスの東郷さんまで消えていました。どうやら、すでに男の子をお持ち帰りしたらしいメンバーもいるようです。


そんな中、キン子さんだけが、好みの男に振られたみたいと、ムスっとしながら戻って来ました。
それで、とりあえずお開きにして、3人でホテルに戻って寝ることにしました。


ところがホテルに着くと、キン子さんが、部屋に入れないと言って騒ぎ始めました。
ツインで同室の林田くんが鍵を持っていたんだけど、ドアが開かないんですね。私と山田さんも駆けつけて一緒に呼び出します。
「ちょっと~開けて林田!開けなさいよ~!」「おーい林田」
しかし部屋をピンポンしても、ノックしても、うんともすんとも言って来ません。
「ひとでなし!メス豚!」

ひどいですね。林田くんは、さっさと男の子をお持ち帰りして、あさましくも中からロックしてしまったんです。

それなら、贅沢に個室を取っていた東郷さんの部屋に寝かせてもらおうと、3人で廊下を歩いていると、身長190はゆうにありそうな軍服姿の美青年が歩いて来ました。
その後ろから短パンに下駄の東郷さんが、機嫌よさそうにしなしなと寄って来て、くるりと回って美青年の腕の中に抱かれます。


キン子さんが、これこれしかじかで部屋に入れないと話すんですが、まったく聞いてない。さすがに腹が立って怒鳴ります。
「東郷!あんたもメス豚ね!」
「いいえ。あたしはパッパと終わるからニワトリよ」
青年と東郷さんが部屋になだれ込み、「ほなごきげんよう」と言い放つと、バタン!と、冷たくドアを閉められました。


今思い出しましたけど、この時この美青年は、徴兵制で陸軍にいながらゲイバーに出入りしてたことになりますから、けっこう自由にやれていたのでしょうか。


結局、山田のおじさんと私の部屋にキン子さんを招き入れ、私とキン子さんが同じベッドで寝ることにして、3人で床に就き、とりあえずは一件落着しました。
ですが、それからがたいへんです。

寝込みを襲うように部屋のピンポンが鳴りました。


「ごめん、部屋に入れないの」
誰かと思えば、キン子さんと同じく、ツインで同室の片割れが、先に男を連れ込んでロックしてしまい、部屋を閉め出されたメンバーでした。


みんな寝る部屋がない。それぞれナンパした男の子を連れているので、3組6人の珍客が、ぞろぞろと、私達の部屋に救いを求めて来ました。
床に寝るから泊めてくれ、って言うわけです。

夜中も12時を過ぎていたので、断るわけにもいかず、とりあえずみんな部屋に入れて、山田のおじさん、私&キン子さんでベッドに寝て、あと3組6人は床に寝転がります。
そして、おやすみなさい、と灯りを消しました。

それで黙っておとなしく寝るわけないですよね。盛った野太い声と、くちゃくちゃ言う音がうるさいんです。キン子さんはちゃっかり起き出して、技術指導を始め、さらに取材だとか言って、フラッシュたいて写真まで撮っている。


私はどうにもこうにも寝つけないから、隣の山田のおじさんと、また他愛もないおしゃべりを始めました。
そのうち、撮影に飽きたキン子さんが加わって来て、芸能人の誰と誰がゲイでできてるとか、政界財界の裏話を始めると、それはもうネタが尽きない状態になって来ました。
でもBGMは床の方から聴こえる愛のささやきです。時につっ込みたくなる和製英語が気になります。


「ホモだってレズだって淫乱だってなんだって、俺はいいと思うよ!どうだっていいじゃねえか。人間ならば!」
浅草の大将は、一喝しました。そして、あまりにも疲れ果てたのか、こんな状況でイビキをかき始めたんです。
私はとうとう一睡もできず、明け方静かに若くて可愛い台湾人の男の子たちを見送りました。


「あんたたち、ゆうべはどないしたん?」
翌朝レストランで出会った東郷さんの隣には、日本の浴衣を着せた軍人の美青年が座っています。
台湾の朝はお粥。みんな何事もなかったかのように、ずるずるとかき込みながら、昼に行く予定の海鮮料理店のことや、あらたなゲイバー開拓の話をしています。
そして支払い済ませようとバッグの中に手を入れた林田くんが、やにわに声を張り上げました。

「はっ、財布がない!」

顔が真っ青。
「んもう、部屋に帰ってよく探しなさいよ」

と言ったタヌ子さん、やはりバッグを見て自分の財布もないことに気づいた。

二人おろおろしている。
すかさずキン子さんが言いました。
「ほ~らごらん!ゆうべの男は枕探しだったのよ。あたしを閉め出したバチよ」


当時こういうことが、どの程度あったのか知りません。
ホテル麒麟大飯店の、忘れられない一夜です。


この数年後、タヌ子さんはぶら下がり健康器で首を吊って自死しました。
キン子さんは大船渡に帰り、悠々自適に暮らしていたところを3.11の津波ですべて流され、今は仮設住宅に住んでいると聞きました。
新宿二丁目、ゴールデン街で店を営んだ東郷さんも、亡くなって7年が経ちます。
山田のおじさんの店は、検索しても女将さんの写真しか出て来ないけど、どうしているでしょうか。

(了)

※写真は翌年昭和59年に、やはり東郷さんと再訪した台北の秘密クラブ。

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