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【歌舞伎町に咲いた一輪のあだ花・ミスター・マダムシャンソン】


草間彌生さんの水玉模様。

あれを描くのは、統合失調症の幻覚や幻聴から身を守ってくれる儀式のようなものだとかいう話を聞いて、胸に響くものがありました。

ところで、東郷健さんって知ってますか? 参院選や都知事選に出馬するたびに、赤尾敏と戦っていたオカマの東郷健。

私、若い頃、大久保にあった東郷さんの家に居ついていて、ゲイ雑誌の挿し絵を描きながら、そこに出入りするゲイの人たちと遊んでいたんです。

地方から家出して来て住みついてしまったゲイもいたし、普段は茶道のお師匠さんで孫2人いてもバリバリ男の尻を追いかけてるお爺ちゃんや、1日7000円の新聞広告に騙されて、東郷さんに緊縛写真撮られた男の子とかいて、タイで性転換したばっかりのオカマが失敗した手術跡が蒸れて痒くて「ちょっとごめんね」って股開いて、うちわで扇いでいたりね。

そのものすごいメンバーで、ちゃぶ台を囲んで、東郷さんが作った食事を、まるで家族みたいに一緒にいただくわけです。その時間は、酒が入る入らない関係なく、おしゃべりが止まらないんですよ。

なかでも一番目立ったのが、京唄子にそっくりで、いつも金髪のヅラをかぶった「マダムシャンソン」っていう、オカマのお姐さんでした。
場末っていう言葉がぴったりの、小さなお店を歌舞伎町でやっていて、バサバサのつけまつ毛で、流し目しながら踊るのが貫禄で、何とも哀愁漂っていて、大好きでした。

「男買う時は、絶対3回するの。なぜかって?だってあんた、1万と思うと高くて悔しいけど、1回3300円だと思えば安いじゃない?」とか、

「する時は絶対あたしが上!だってあんた、ヅラが落ちたら大変ですもの」とか、タラコみたいなピンクの口紅光らせて言うわけです。

もっと書こうと思えば話は山ほどあります。

とにかく、そういうエンターテイメントな楽しみ方、楽しませ方を知らなかった私は、この人たちの生き様に心酔しました。

毎日がイッツショータイム!今日はどんなおもしろい人に会えるんだろう?って、胸躍らせながら、学校帰りに大久保に通いましたね。


ある日、唐突に、東郷さんが性解放の芝居をやろうと言い出して、私がその芝居に出たことがあったんです。

誰が脚本書いたのかは忘れてしまいましたが、70年代半ばに高田馬場の東芸劇場で初演された、「回転ドアの向こうの海」というタイトルの芝居のリバイバル公演でした。音楽は「八月の濡れた砂」の城賀イサムさんに頼んだくらいだから、そこそこお金はかけていたんじゃないでしょうか。


稽古場は高田馬場で、安宿の脇を入った突き当たり。古びた木造モルタルの建物には、いちおう鏡やバーもありました。

あまりにも小便臭過ぎるトイレの窓からは、桜並木と水のない神田川が見えて、川には四角い下水口があって、下水口の中には、なぜかいつも布団が敷いてありました。水が流れていなかったので、そこで誰かが寝泊まりしていたんでしょうか。

顔合わせの日でした。

稽古場のベンチに、黒いタートル姿の冴えないお爺さんがポツンと座っていたんです。禿げてて猫背で、ずっと下を向いて黙ってて、挨拶したのに視線すら合わせない。他の出演者たちは、若いセミプロの役者や二丁目でならしたオカマだったから、かえって目立つんですよね。

台本が配られて少し静かになった時、すっと、さりげなく鏡の前に立った人がいました。そのお爺さんでした。

軽くバーに手を置き、やおらバレエの3番のポジションに足を合わせ、顎を艶っぽく持ち上げて、くるくるっと回った。
そうなんです。そのお爺さんの名は、マダムシャンソン。

そうか、あのマシンガントークは、メイクと衣装があって初めて立ちあらわれる表現だったのかと思いました。

なんらかの恐れから身を守るための、魔除けとしてのメイクと衣装そのまんま、妖しい一輪のあだ花となって咲いていた。そこに草間彌生さんの水玉の儀式を思ったんです。

シャンソンさんは、その2年後くらいにガンで亡くなりました。逢えるものならもう一度逢いたい人です。

(2017年)※写真は東郷健さん

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