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東郷健と世界を旅するオカマたち①

1980年代。オカマの東郷さんは、よく海外旅行に行っていました。
目的は、旅先で男の子を撮影して自分のゲイ雑誌のグラビアを飾ることでした。

でも、ついでに世界のゲイバーを取材してみたいという野望もあって、まあ、この旅が毎度珍道中で、何せハプニングが絶えなかったわけです。

行くとなると、季節はたいてい夏。東郷さんは世界中どこに行くにも切りっぱなしの短パンに下駄のスタイル。
そのまんまで「あたしは世界の東郷健よ」と、顔色一つ変えずに言える人でした。

旅の一座の構成は、東郷家に出入りしていたゲイに、一人か二人東郷さんと懇意なノンケ男性が加わるという形でした。でしたが、女の私もメンバーに入っていたんですね。なぜか。


旅と言えば真っ先に思い出すのが、初めての台湾旅行です。
出発の成田の朝。メンバーの一人が、待てど暮らせど来なかったんですよ。
その一人というのは、新宿ゴールデン街で小さなゲイバーを営むキン子さんでした。
女装した姿は小太りで、母性豊かな瀬川瑛子風おっかさんタイプ。いつもちゃっかり得をするからと、ゲイ仲間からはずいぶん嫉妬されていましたが、何かそのちゃっかりが、実に可愛らしい人なんですね。とは言え、岩手は大船渡から上京して、パシリのゲイボーイから叩き上げた苦労人でした。

ロビーでキン子遅い遅い!と文句を言いつつも、みんな旅気分に浮かれていますから、誰かが缶ビールを飲み始めると、また一人飲み始める。ペチャクチャしゃべっているうちに、空港の片隅がゲイバーと化してしまいます。みんなけっこういい気分で、キン子さんのことなど忘れています。

そのうちに時間ギリギリになった頃、遠くの方から荷物を引いた小男が、小走りに駆け寄って来ました。
ボサボサ頭で、膝までのロンTを着て、お腹がポンと出ていて。よく見たらキン子さんでした。大遅刻です。

「あーんよかった!間に合ったわ」

「あんた、遅かったやないの!」東郷さんが責めるや否や、キン子さんが言いわけをします。
「だって店閉めようって時に来た客がよ。あんた、〇竜也だったのよ!帰せないでしょっ?あんた内鍵かけて、さっきまで〇〇よ」「んまぁ!この発情猫!」

などと、そんな感じで旅は始まりました。


さて、それで一行が機内に乗り込んだはいいんだけど、今度はタヌ子さんが、すっかり出来上がっています。やたらと大声を出したがるのが問題です。
ふだんは短髪色黒の、心穏やかで優しいオネエなのに、豹変型なんですよ。
彼は寺山修司プロデュースのアルバムにも登場した、その筋の有名人で、かつての遊び仲間と言えばK子國義、Y谷シモン、Kシノジュンコとそうそうたる顔ぶれなんですが、当時皆さんはこの豹変ぶりに、どう対応していたんでしょうか。

最安であったノースウエスト航空の、エコノミー席は満席。
離陸して、一行はようやく睡眠モードに入っておとなしくなったのに、タヌ子さんだけ冴え冴えと眼を光らせていて、なんかブツブツ言っている。そして突然絶叫しました。


「お と こー !!!」
隣に座っていた私は、慌ててタヌ子さんの口を抑えて何とか気をまぎらわせます。

ところが、通路側席のタヌ子さん、今度はトイレに立つ男性客が通るたびに股間をわしづかみにしようと狙っています。きつくダメ出しをしてもやめません。
あからさまに不機嫌な表情のCAたちが集まって来ましたが、私はもう謝るだけで、理由なんか説明できないし、困り果てました。


で、落ち着いたと思ったら、それも束の間、タヌ子さん、次は何かを探し始めたんです。ポケット、バッグの中、座席の下、あまりにも必死で探すので、なに探してるの?って訊いてみたら
「愛よ、愛!どこにいったのかしら!!」


探し物は見つからないまま、台北の中正国際空港に到着しました。

着いたところで、ホテルの部屋割りにびっくり。
個室の東郷さん以外、みんなツインの部屋なんですが、メンバー中ただ一人のノンケ男性、浅草の飲み屋の大将・山田のおじさんと、23歳のお年頃の私が、ツインで同室になってるんです。
東郷さんは、男女が一緒の部屋で過ごすことには、まったく興味がなかったんでしょうね。問題ないと見越してのことで、確かにその通りだったんですが、これが後々とんでもないことのもとになりました。


時は80年代初め。台湾はまだ戒厳令時代で軍事国家だったので、女装や同性愛には、ひどく厳しい国でした。
なので、みんなメイクやマニキュアは成田で落として、台湾国内ではすっぴんで過ごすことになりました。


当然、目的のゲイバーはどこも秘密裏に営業していたので、コネがなければ探せません。
でも世界の東郷健には、そこでひるんだりしませんでした。ホテルのボーイにチップをはずみ、「あたしは日本のオカマ、世界の東郷健よ!あんたら、世界中にホモとレズのいない国がありまっか!?」と関西弁ですごんで、強引に情報を引き出していました。
その姿勢は数々の問題もありましたが、実に首尾一貫していて、やっぱり元祖レインボープライドの重鎮であったことを、私は否めないと思うのです。

そして、早くもターゲットのゲイバーが見つかったので、さっそく一同揃って夜の台北に繰り出しました。
(続く)


※写真は戒厳令下の台北

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