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甘く焦げ臭い構内

 心臓のあたりに大木が貫通したような虚脱があった。同心球状に大きな虚脱が惑星を飲み込むみたいにぽっかりと居座る。私は何度もそこから逃げ出そうと試みるがそれは私の中にある。逃げられない必然性が蛇口から漏れる立ちの悪い水滴みたくーー私はパニックした。あらゆる自分を取り巻く音が巨大になり大挙として押し寄せる。それは押さえつけるほどに反作用よろしくこちらに向かってくる。悪い夢ならそろそろ終わりそうなものの、これが夢でないために迫り来る。油汗と空気中の行き場ない蒸気が混ざりあいむせ返った。左足の薬指と小指の間が神経質に痛む。ここから逃げなければ。


 プラスチックが燃え損なった鈍く焦げた匂いがする。調合を間違った香水のような特徴的な甘さを携えている。あまり良い匂いでないのはすぐにわかった。長時間にわたり吸うと嘔吐を引き起こすような匂い。しかしそれはシンナーとかの有機溶剤の匂いではなかった。もっと、しつこく脳に深刻な傷をつけそうな感じがあった。私は周囲を見渡し駅員を探す。この危険な匂いの正体を伝えなくてはいけない。重大なテロが背景に潜んでいるかもしれない。駅員にこの匂いを伝えるとその女の駅員は奇妙な顔をした。そんな匂いが一体どこからするのかと。それは重大な案件につき深刻に取り合っている趣があった。私はこの地下1階のホーム全体に立ち込めている旨を伝えた。彼女はその表情を緩ませた。そこには冗談を解体し羞恥のもとに晒すような緩慢が見える。私は何度も何度もその異様で危険な匂いの正体について真剣に語ったがまるで取り合ってもらえなかった。彼女はこれ以上ふざけた真似をするなら警備員を呼ぶと私に伝え、私の眼に焼け石で刻印するみたいに睨みつけた。私はふと我に帰った。匂いなんてものはなく、私は一体何を感じていたのだろうかと呆然とした。あの死を予感させるような匂いはどこかに集散し、彼女は私を見下している。私は彼女に言った。駅のホームに警備員なんているのかと。それから彼女はもう一度顔を顰め、そこで私はその場を去った。エスカレーターに乗り、改札を抜ける。

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