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幸せになんてならないで

「好きです。先輩がおばあちゃんになっても毎日『かわいい、大好き』って言う自信があります」

「だから俺を選んでください。」



もう帰ろうか。
そういったわたしの手をとり、寄り道してもいいですか?と彼は夜の神楽坂を進んだ。

桜の木の下のベンチに彼はハンカチをさっと引いてわたしを座らせると
目の前に跪き、手を取り言った。
俺を選んでくれ、と。


薄くライトアップされた桜の下で桜吹雪につつまれたまま、わたしたちはしばらく無言だった。
わたしの手を取る彼の手が、少し震えているのが分かった。


まるで何かわたしがとても価値のある、イイモノにでもなったかのような錯覚を覚えるほど強烈なシチュエーションと真っすぐな言葉だった。


なんだかどうしようもない気持ちになってしまう。



わたしは付き合って2年半になる4つ年上の彼氏がいた。
自分第一主義の彼とは将来の話ができなくて、30を目前にしたわたしがどれだけ傷ついていたとしても、それでもわたしの愛情は恋人だけに注がれるものであるはずなのだ。


だから今、目の前の後輩のまっすぐな気持ちに泣きそうになってしまうのはきっとお酒のせいだ。



会社の人たちとの飲み会のあと、帰りの方向が一緒だった後輩から仕事の相談がしたいと言われ2人で飲み直すことになった。
5つ下の彼はわたしにとって『守り育てる対象』のひとりでしかなく、まさか好意を向けられているなど全くの想定外だった。

なので彼氏にも「後輩くんの相談のってくる」と陽気な報告まで入れていたくらいだ。なのに。
とんでもないことになってしまった。



「こんなこと言われても困りますよね。先輩、俺のことほとんど知らないですよね。急ぎすぎました。すみません」

わたしの手をとったまま彼はゆっくり立ち上がる。

「なんでも聞いてください俺のこと。全部答えます。そして先輩のことも聞かせてください」


鞄からマフラーを取り出し、わたしにゆっくり巻きつけながら彼は言った。

「これ、アルパカの毛なんであったかいですよー。俺学生の頃バックパッカーしてたんですけど、そのとき買いました。」

「え、そうなの?すごいね……」


イメージとだいぶ違った経験が飛び出してきて、色々な質問が頭をよぎった。どこの国を回ったの?辛くなかった?どこが一番よかった?

…けれど、あまり長くこの場に留まるのはよくないと思ったわたしはその言葉をぐっと飲み込んだ。なにか悪いことをしているような気持ちが湧いてきたからだ。


質問してくださいよーとふんわり笑う後輩に対し、何も聞かないのも失礼だなと「好きな色は?」と定番かつ面白味のない質問をわたしは投げかけた。彼はわはは!と笑って、「青ですよ」と教えてくれた。

そして今日はもう帰りましょうか。と言った。
気遣ってくれているのがわかった。


「驚かせてしまってすみません。でもまた誘いますからね。そのときは、色よりも深い話をしましょう。」




知ってるよ。

たこやきやお好み焼きといった粉ものや、
オムライスや唐揚げみたいな子供っぽいメニューが好き。

学生時代はイタリアンでバイトしてたからパスタが上手。

旅行が好き。運転がすき。実はアイドルが結構すき(隠してたけどバレてるよ)

外面と愛想がいいけど本当は疲れてる。
口論になると納得するまで怖いくらいとことん話し合おうとする。

2人で新しく始めた好きなものもあるね。
キャンプ、餃子つくり、全国各地をめぐること。


毎日「大好き」はさすがに実現しなかったけれど
毎日たくさんの愛情を注いでくれた。


あなたと過ごすようになって初めて
わたしはこどもになれたような気がしたよ。


彼は恋人であり、パートナーであり、自分の片割れのようなもので。

大人の恋愛ってこうして愛情や信頼関係を一緒に育てていくんだな、と発見した。それは時に面倒で痛みを伴うこともあるけれど、それを乗り越えた先にある関係性が心地よかった。
そしてこの日々の積み重ねがお互いの人生になっていくんだと思っていた。


わたしたちは約3年間かけてお互いのことを、家族より本人より知り尽くした存在同士となった。そして別れた。

お互いの根っこにある
「結婚への価値観」と「譲れないもの」も、
深く分かってしまうようになったから。



別れてから2回、桜が咲いて散って。あなたの知ってるわたしはもうかなり形を変えてしまったよ。

一人でごはん屋さんに入れるし旅行にだっていくよ。前よりメンタルは強くなったし、きれいになったと思うの。


きっとわたしの知っているあなたも、
もう大分過去のものなのでしょう。



きれいな思い出に隠すわたしの汚い本音。
口に出すのも言葉にするのも抵抗があるけど、
ここにだけ置いておかせて。


どうか、ずっとわたしとの時間を覚えていて。


幸せになんてならないで。

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