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課題を真に解決するには - 「貧困と闘う知」を読んで

はじめに

「(様々な課題解決のための取り組みについて)その取り組みは本当に対象とする領域(地域、社会、国家)における課題解決に繋がっているのか。そして、その効果をどう測定すべきなのか」という疑問を感じていた時に、こんな本を読んだ。

著者は少し前に「21世紀の資本」という本で話題になったトマ・ピケティと並びフランスで著名な経済学者である、エステル・デュフロ氏。


RCTとは?

本書では、途上国の課題解決のための取り組みをRCT(ランダム化比較実験)という手法を元に検証していく。例えば「教科書を無料で配布しても、教育水準は上がらない」というような、一見すると予想と異なる結果が見出されており、とても興味深い。

RCTは元々臨床医学などで見られた手法で、近年他分野にも応用されてきた。
分かりやすい例で言うと、新薬の実験をするために被験者をランダムに2つのグループに分け、片方には偽薬(プラセボ)を、もう片方には本物の薬を服用してもらうというという試験を行う。服用した対照群で症状の改善が認められれば、その薬には実際に効果があるということになる。

これを本書のような開発経済学の分野に応用すると、課題解決のための取り組みを行う群と行わない群に分けて検証していくということになる。本書では、様々な事例について検証内容及びその結果について解説していく。


「貧困と闘う知」の内容

本書において扱うテーマは、大きく以下に分けられている。
・教育
・医療
・金融(マイクロファイナンス)
・ガバナンス(政治、汚職)

本書は大きく第一部と第二部に分かれており、教育、医療は第一部、金融、ガバナンスは第二部で扱われている。
第一部では貧困における課題への政策によるアプローチを中心にしており、第二部では貧しい人々自身が課題解決の主体者となることを中心に据えている。

本書の内容を知る上で、最初の方で書いた「教科書を無償配布しても、教育水準は上がらない」という例について具体的な内容を簡単に紹介したい。舞台は1995年のケニアである。

この実験では、教科書を配布する群と配布しない群に分け、教科書の配布による学力向上の度合いにより検証を行った。

当時のケニアでは教科書は貴重品だった。生徒が教科書を手に入れることができないから学ぶ機会を奪われているとしたら、教科書を配布すれば教育水準の向上に繋がるのではないか?これは極めて自然な考え方のように思えるが、実際のところどうなのだろうか。


結論としては、教科書を無償で配布しても子どもたちの成績は改善しなかった。これはケニアだけの問題なのか?成績を測るテストの内容に問題があるのか?

しかし、テストの内容を変えても、インドの農村部でも、インドの都市部でも同様に効果は見られなかった。

ただ、この実験の中で興味深いデータが見られた。教科書が配布される前から成績が上位10%だった生徒については、教科書を配らなかった対照群に比べ、配った群では学力が向上していたのである。


理由は授業で用いられる言語にあった。子どもたちは地元の言葉を覚え、スワヒリ語を覚え、そして最後に英語を学ぶ。そして、子どもたちの親は英語をほとんど話さない。

ところが、教科書は英語で書かれていたのである。このため、大部分の生徒は意味がわからず、優秀な生徒にしか活用できなかった。

では、どうするべきだったのか。スワヒリ語の教科書配れば問題は解決するのだろうか。おそらくそうではない。

例えば、そもそもの教育カリキュラム自体に問題はなかったのかという考え方もできる。ケニアは元々イギリスの植民地だった。教育カリキュラムは植民地時代から変わっておらず、現在のケニアの子どもたちにとって本当に適切な内容ではないのかもしれない。

他には、教育環境自体が適切ではないかもしれない。教科書の内容自体に問題がなかったとしても教員の欠勤率が高いことが問題の可能性もある。ケニアでは59%の教員しか授業をしていなかった。この状況では履修内容をこなすことはできないだろう。

このように、RCTを用いて検証していくことで、当初からは予想外の問題を見いだすことができる。上記の事例はよく考えればわかったのではないかと感じてしまいそうだが、意外とこうした事例は多い。

課題解決に取り組む上で必要なことは?

本書では触れられていない内容だが、最近も以下のような記事が出ていた。

これは、「無電化の村を電化することにより貧困層の生活の質が改善するか?」をRCTを用いて検証したものだ。

具体的には、ランダムに電化された群と電化されていない群に分け、18ヶ月後にその効果を検証するという実験を行った。
電気があることが当たり前である私たちの生活から考えると、電気の恩恵を受けられることで多くの課題が解決しそうな気がする。例えば、子供は夜でも勉強できるようになり、学力が向上するのではないか・・などだ。

結果はどうだったのか。

結論から言うと、2つのグループの間に大きな差は見られなかった。
最も効果が期待されそうな子供のテストのスコアも変わらなかった。
また、安定した電気供給があっても世帯はほとんど電気を使わなかった(家電製品をほとんど購入していなかった)。親たちの雇用形態も変わることはなく、電気が利用できる環境ができたからといって生活の水準は何も変わらなかった。

もちろん、長期的に見れば電気供給が安定していることは生活の質向上に大きく役立つことになるだろう。しかし、インフラを活用するための方法を教育したり、活用するための環境を整えていったりすることがまずは必要だろう。

このようにRCTを活用することで客観的な検証結果を得ることができるが、重要なのはより良い支援のためにどう改善していくかだろう。RCTは検証と新たな仮説の導出には有用だが、課題解決の手法を教えてくれるわけではない。取り組みに効果がないことが分かったからといって、それだけでは意味はない。

重要なのは、課題解決に対して銀の弾丸はないということを認識した上で、いかに効率的に解決手法への検証を重ねながら改善して前へ進めていくことではないだろうか。

前述したように、子どもたちの学力向上のために教科書を無償で配布しても、家庭を電化しても効果はなかった。

電化の例で言えば、もしかすると夜も明かりが使えることで子どもは夜も家の仕事を手伝うことになったかもしれないし、親はそもそも夜に勉強をさせようという発想がなかったかもしれない。

学力向上という目的について考えるならば、子ども、家庭(親)、教員全ての参加者に対するアプローチが必要となるだろうし、民間(市場)の力も政治(制度、政策)の力も必要になるだろう。様々なアプローチの組み合わせにより、個々の取り組みは改めて効果を発揮できるかもしれない。

エステル・デュフロ氏は本書の最後で「貧困との闘いを持続させようと望むならば、試行錯誤、創意、そして根気が不可欠である」と書いている。まさにその通りなのだとおもう。

市場の倫理と統治の倫理

前述したように本書は第一部と第二部の2つのセクションに分かれている。この2つを読み比べると見えてくるのは、社会課題を解決するのは政策だけでも、市場や有権者の力だけでもダメだということだ。

少しずれるが、市場と政策という2つの強力な力が持つ特性を明らかにし、そのバランスについて議論しているのが、ジェイン・ジェイコブスの「市場の倫理 統治の倫理」。

それぞれが持つ倫理特性を把握した上で、現状と照らしてどういうバランス感が必要かを考えていくということが重要なのだと思う。

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