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日本国憲法について考えてみた

最近、憲法改正について話題になることが増えてきました。自主憲法制定は自民党の結党以来の党是らしいですし、実際、安倍晋三氏は「自衛隊の違憲論議に終止符を打つ」「アメリカからの押し付け憲法」などと改正を訴えてきた。

また、岸田総理になっても「憲法審査会」の開催など、野党の姿勢の軟化もあり、近い将来憲法改正の国民投票が実施されるのではないかとさえ感じます。

今回は日本国憲法の制定の経緯を振り返って、それが「押し付け」なのかを始めとした、改憲の必要性を訴える根拠について私なりに考えてみました。

普段は意識することもないけど、私たちが自由に発言したり、転職したり、引っ越したり、或いは勉強したり、税金を取られたり‥するのは、全て憲法に定められた権利や義務であるので、「日本国憲法」の制定の経緯を知ることはとても重要な事だと思うのです。

さて、日本人にとって今の日本国憲法が「押し付け」なのか否かを考える場合に、まずその「日本人」とは何かを考えないといけません。

敗戦当時の庶民、政治家、官僚、軍人、という立場だけでなくそれぞれに右派、左派が存在していたわけで、その視点によって日本国憲法の捉え方は大きく変わってきます。

そこで今回はジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」を中心に、憲法制定の経緯を紹介したいと思います。この本は当時の日本を総体的に捉えていて、アメリカから見た日本ではあるが、それだけに客観的な観点で分析されていると感じるからです。

この本はピューリッツァー賞をはじめ多くの評価をされていますが、日本国憲法の制定に関して書かれている部分を参考にしてみたいと思います。

このほか、半藤一利さんの「昭和史」、サンフランシスコ条約直後に毎日新聞社から発刊された「終戦後記」(これは当時の政治家たちが占領期を振り返ったもの)などを読んで参考にしています。

まず、皆さんもご存じの通り、日本国憲法の草案はGHQの民生局が1946年の2月の上旬の1週間あまりで作られたものです。

この事実を持って「アメリカから押し付けられた憲法」というよく聞く話になる訳です。

実際には、この前後に日本国内や国外で様々な動きがあり、事はそんな単純ではないという話を私は書きたいと思います。

まず当初はアメリカ側も日本人も憲法改正は日本人の手でやるべき、という姿勢だったのですが、これはポツダム宣言の「日本国民の自由に表明せる意思に従い‥」という文にも現れています。

日本人による改憲案は最初は近衞文麿による案(これは彼にとって悲劇的結末を迎えますが)を始め各政党による改憲案、民間団体による改憲案など多くがあったのです。

その中でも民間の「憲法研究会」による草案などは象徴天皇制や言論集会の自由などとても民主的で戦争放棄以外は今の日本国憲法にとても近いものでした。

ところが当時の日本政府(幣原内閣)の動きは鈍く、1945年末になって「憲法問題調査会」なるそもそも憲法改正を前提としない調査会みたいなものを立ち上げた程度でした。

だが、その政府のやる気のない憲法改正案が1946年1月末に毎日新聞によってスクープされます。天皇の地位はそのまま、民間の改憲案に比べても極めて保守的でした。そしてマスコミや世論から多くの批判を浴びます。

そこに出てきたのがGHQの民生局。マッカーサーの指令のもと、ホイットニー准将、ケーディス大佐などが中心となり、憲法草案を作成し始めます。これには①日本政府の草案が全くダメ(天皇地位の不変、人権確保の不十分など)だった事②当時の国際情勢という理由があります。

終戦直後は事実上アメリカ一国による占領統治でしたが、1946年2月末には極東委員会が発足するため、そうなると連合国各国の意見を取り入れざるを得ない状況となります。

マッカーサーは、日本の統治には天皇制の維持が必要(その方が統治が楽)と考えていましたが、他の連合国は天皇の戦争責任の追及を求める意見が強かったのです。

そこで、GHQは象徴天皇制と戦争放棄、民主主義、基本的人権というセットの憲法を作ることでいわば「天皇制の維持するよ、だって2度と戦争をしない民主国家なのだから」という他の連合国へのエクスキューズとしたかったのです。

そしてその論理は天皇制の維持を目論む政府の要人たちに「戦争放棄等の草案を受け入れないと天皇制の維持は困難だぞ」という脅しにもなったのです。

結局、政府はGHQ案をもとに日本国憲法の草案を作成し、採用することになるのですが、その過程では、英文案の翻訳時など、日本側の意見とアメリカ側の意見の侃侃諤諤(adviceを輔弼とするか助言とするかなど)があり、全くそのまま受け入れたのではありません。

また、国会でも多くの議論がされ、多くの修正があった事も事実です。修正には当然GHQの承認が必要でしたが。

また、先ほど述べた通り、GHQの草案と憲法研究会の草案はかなりの部分が共通していて、実際に研究会の草案も参考にして作成されたという事が伺われるメモもあります。つまり民間の中に民主化を渇望する世論があったのです。

また、GHQの草案作成時には民生局のチームは多種多様な人材(大学教授、ジャーナリスト、法律学者など)による活発な議論があり、当時の世界の理想(不戦、平等、民主主義、平和主義)が詰め込まれたものになっています。

特にユダヤ系女性ベアテ・シロタは幼少期から青春時代を日本で暮らしていて、戦前から戦中の日本の軍国主義を身を持って経験していました。彼女の意見により男女平等に関する条文に反映さたり、より日本の実態を踏まえたうえでの草案になった面もあるようです。

GHQの草案作成過程を知ると「理想と謙虚さと多様性」を持った奇跡的なチームであり「日本人に押し付けるという気持ちは一切なく、民主化の役に立ちたかった」という彼らの言葉通り、正に天からの贈り物のように思えてきます。

このように作成された憲法に反対したのは「戦前からのエリート政治家(幣原、吉田、などのオールドリベラル)」であり、むしろ庶民はこの「与えられた」民主主義を歓迎していた事が書かれています。

つまり「押し付け」と感じたのは当時の政府の要人たちで、天皇の地位は神聖にして侵すべからずという「皇国主義」を信奉し民主主義を快く思わない者たちだったのです。

今の自民党の政治家はほとんど戦前、戦中の政治家の子孫たちであり「押し付け」と発言する背後には、彼らの祖父や先祖が「押し付け」られたと感じた間隔を引き継いでいるのではないでしょうか。

戦後に80年近く、日本人は民主主義と不戦の憲法を理想に当初の予想に反して憲法を堅持してきた事が、正に民衆がこの憲法を愛して選び、尊重してきた証左だと思います。

よく、9条はお花畑だという指摘もあります。これも不当な指摘と思われます。自衛隊も今は違憲ではありません。この話(9条をめぐる経緯)になると更に長くなるので今回は割愛します。

こうして検証すると日本国憲法は決して「押し付け」ではなく、戦争の悲惨さに打ちひしがれた日本人が必死で辿り着いた賜物に思えます。憲法に理想を謳わなくて、どこに理想を訴える事ができるでしょうか。

という事で、すっかり護憲調になってしまいました。お読みいただきありがとうございました。









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