今のきもち、本音と建前

一発目の記事ですが、
最初からちょっと重いやつです(笑)

先日、ある研修にて、大学生同士で
「コロナ禍でオンラインになったことで失われたもの・良かったこと」というようなテーマでミニディスカッションをしました。

話し合って出た意見を最後にそれぞれの班で発表したのですが、その発表を聞いたある大人の方からこんな感想をいただきました。

「あなたたちは、もっとぐじぐじしていい。
直接会えない、触れない、そして無駄に過ごせない、それがどれだけ人間にとって価値あるモノを失わせているかに意外と無頓着なんじゃないかな。無駄を恐れているあなたたちは、
もっとぐじぐじしていい。」

この方は決して怒っているんじゃなくて、
オンライン世代となりつつある私たちに大事なことを思い出させてくれるようなメッセージを投げかけてくださいました。

私はこの言葉を聞いて、目に涙が浮かんできました。(研修中なのに)

オンラインになって、
通学の時間はなくなったし、
授業の1分前まで寝てられるし、
授業の資料も膨大な紙じゃなくてデータになったし、
付き合いで飲み会行ってそれほど食べてない飲んでないのに3000円も払わなくてよくなったし、
zoomの使い方もオンラインノウハウもめちゃくちゃ身についた。

よかったことがない、といえば嘘になる。

でも、
言わずもがな失われたものもたくさんある。

雑談の時間がめっきりなくなってしまったこと、
帰り道におしゃべりしたりお店に寄ったり、
一つの大きな教室でうとうとしながら授業を受けていたら友達にトントンって起こされてくすっと笑ったり、
空きコマに学食で騒ぐこと、
ホワイトボードや付箋を使ってアイデアを出し合いヒートアップするミーティング

今を生きる者として、
今この状況の中でできることを
精いっぱいやる。
今だからこその価値に目を向ける。
失われたものはたくさんあるけど、
得られたものもあるんだから、
前を向いて。

そんなことを、はじめは周りから言われたり、みんなで言い合ってはげましあったり、辛くなったら自分にもそう言い聞かせてきて、
そして、いつのまにか、そんな思考回路が自然に自分の中に備わっていた。

「ニューノーマルな日常」の中で、
もはやぐじぐじすることを忘れていた。

いや、忘れないと生きていけない。

それが本音かもしれない。

オンライン生活をもうやめたくて、これまでの無駄かもしれない普通の日常を取り戻したくて、多くの人が望んでいるけれども今は我慢しなくちゃいけないうじうじしたい気持ちに自分自身が気づかないように、いつの間にかフタをしていたことに気づいてしまったから、涙があふれてきちゃったのかなと思います。

この方の言葉を聞いて、

「ぐじぐじしていいんだったらもっとぐじぐじしたい。正直、オンラインで得られたこと・よかったこと、なんて上辺だけのアウトプットで自分の状況を頑張ってどうにかしていいようにとらえられるようにしただけで、本音はそうじゃない。得られたものはあるかもしれないけど、それらを得られなくても今までの無駄だと思える時間がある世界での日常が好きだったし戻れるものなら戻りたい。」

こんな自分本位でわがままで
超正直な素直な粗削りの想いがぶわっと
あふれ出てしまったんだと思います。

ぐじぐじしたいけど、できない。してはいけない。だから、意図的にも潜在的にもぐじぐじしないようにしている、っていう今なのかな。

だからといって、マスク外して飲食店でさわいだりしないし、自分自身の感染予防はできる限り続けるし、オンラインツールを使いこなすし、オンライン上でも楽しく頑張れる工夫はこれからもしていきたいと思っています。

ただ、心の奥底に追いやられてしまった本音の部分とは、ちょうどいい距離で付き合っていこうと思います。
その気持ちの存在を認めること、
ぐじぐじした気持ちを忘れないこと、
無駄なものに宿る価値を見捨てないこと。

そうやって、いつか、また、楽しく笑える日を待ち遠しにしていようと思います。
適度に息抜きをして。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?