【ポケモンGO引退します】5年間の思い出とやめるに至った理由を語ります

ポケモンGOとの思い出

2016年にサービスが始まったポケモンGO。筆者は当時、まだ高校生でした。部活の練習終わりに同級生がみんなそろってスマホ片手にズバット、コラッタ、ポッポを捕まえていたのを今でも鮮明に覚えています。ただ、私がポケモンGOを始めたのはその1年後になってからでした。

リリース当時は拒絶していた

私の使っていたスマホのOSがポケモンGO非対応だったというのが一番の理由ではあるのですが、当時からポケモンというコンテンツが大好きであったがゆえに、ミーハーと一緒にされたくなかったというのがあります。とにかく当時はポケモンGOの話題性が強すぎて、スマホをもってるありとあらゆる世代の人がポケモンGOを一度はダウンロードしていたといっても過言ではないでしょう。でもその中には「小学生のときポケモンやってた」レベルの人があたかも「ポケモン好きです」みたいな顔してゲームをプレイしているのがすごくモヤモヤしていました。

「おまえらダイパ以降のポケモンちゃんと全部言えんのか」って感じで心の中でマウント取ってたわけですね。今となっちゃほんと小さなことですが、当時の自分はそういう、はやりに乗っかる浅はかな群衆の1人にはなりたくなかったんですね。これはポケモンが本当に好きだからこその拒絶反応みたいなものだと思います。

プレーヤーが淘汰され始めたころにようやく開始

2017年になって新しくスマホを買ってもらいました。それまで使っていたスマホを自分のドジでぶっ壊してしまったためです。ともあれ、スマホが新しくなったおかげでポケモンGOがプレイできるようになったのですが、それでもすぐにははじめませんでした。そのころにはポケモン愛の大きくないにわかミーハーは淘汰され、「ポケモンGO」というゲーム自体が好きなプレーヤーが残っていた印象です。ポケモンGOによる事故報道もこのころはまだ多かったように思います。とかくメディアによるポケモンGO叩きの多かった時期ですね。

結局、私が「やらない」と決めていたポケモンGOを始めたのは、スマホを替えてから1,2か月後の2017年4月4日。きっかけはリリース当時、私と同じくスマホのOSの問題でインストールできなかった友達がポケモンGOを始めたことでした。周りでやっている人もそのころにはガチ勢と呼ばれるぐらいの人しかいなかったので、この人たちとならやってもいいかなと思って始めたわけです。

実際、当時一緒にポケモンGOをプレイしていた友達は大半がダイパ止まりでしたが、ポケモンGOというコンテンツ自体には相当入れ込んでいて、一緒にジムを回ったりレアポケを捕まえに外に出たりするのはとても楽しかったです。

新宿の衝撃

2018年、大学受験のために一人で新宿のホテルに泊まりました。受験前日とはいえ、ここまで来てもはや何もやる気が出ないと思ってポケモンGOを開いた時、目を疑うような景色がスマホ画面に映し出されていたのです。見渡す限りに広がるポケストップの数、ホテルに居ながらにして5か所もポケストップが回せるという信じられない嬉しさ。夢中で外へ飛び出し新宿中のポケストップを回しに行きました。(地方出身の無知な高校生は、その足で夜の歌舞伎町に繰り出し、客引きらしき男の人に2度も声を掛けられたのでした。)

東京でのポケGOライフ

無事、受験に合格し、東京での新生活が始まった私は、大学生活とポケGOライフを両立させていました。とにかく東京に住む以前と比べて、ポケモンGOが相当イージーゲームになりました。基本どこへ行ってもポケストップがたくさんあるし、回転率は速いけれどジムの数も多いので空きジムを見つけるのも容易でした。あとは、やはり出現するポケモンの絶対数も多いため、ポケモンを捕まえに外に出れば、かなりの確率で成果を出して帰ってこれたものです。(暇か)余談ですが、デオキシスレイドのために大学の授業を一度さぼったことがあります。(勉強しろ)

アメリカでもポケモンGO

2019年の夏にアメリカで1か月、海外インターンシップという名のプログラムに参加しました。地域限定ポケモン捕獲のため、仕事が休みの日や、仕事が終わったあとはポケモンGOをチェックしていました。成果としてはケンタロスが7匹くらい捕まえれました。日本に帰って何人かのポケGO仲間に配ることができたので、良い収穫になりました。

飽きの時期

ジョウト地方のポケモンがポケモンGOに追加されるのはかなり時間がかかりましたが、それ以降の追加はどんどん速くなっていきました。と、同時に、自分の中にポケモンGOと距離を置く時期が出てきました。この理由については後半で掘り下げていきますが、ホウエン地方ポケモンが追加されたころからこの「飽きの時期」と「ポケGO熱再燃の時期」を繰り返していくことになります。

ポケGO熱再燃のきっかけは身近にいるプレーヤーの存在

ポケモンGOも、当初はなかったデイリー、ウィークリーの要素が加わったため、一度離れてしまうと、容易には戻る気になりません。しかし、そんな時にポケモンGOを再開しようと思わせてくれるのが、身近な友人や先輩がポケモンGOをやってるのがわかった時です。自分自身、ポケGOから距離を置いていたとはいえ、データ自体はガチ勢のそれ。ポケモンBOXは拡張して1900、図鑑コンプ率は約90%。ちょっとやそっとポケGOをやっていなくても、ポケモンGOプレーヤーとは対等に話ができます。そしてそれがきっかけでまたポケモン捕まえ始めようかなと思って、再びハマるんですね。

ただ、逆に、再燃した火を消してしまうのも身近にいるプレーヤーだったりするんです。せっかくフレンドになったのに、最終ログインが2日前になっていたり、しばらくギフトの音沙汰がなくなってしまうと、「あぁ、自分一人でなにやってんだ」って思って、また飽きの時期に入ってしまうのでした。

ついにポケモンGO引退を決意

そんなこんなで、飽きては再開しを繰り返してきたわけですが、2022年の終わりを機にポケモンGOを引退することにしました。その理由を3つご紹介して締めくくります。

1.完璧主義傾向のある人にとっては苦痛の多いゲームになってしまった。

私が「これ以上ポケモンGOを続けていけない」と思った一番の理由がこれです。ポケモンGOのゴールは何か、それは「ポケモン図鑑の完成」です。これは赤緑の時代から、ポケモンのゲームシリーズに一貫して据えられてきたゴールであるといえます。もちろん、それだけではないという意見もあると思いますが、「現実世界に繰り出して、ポケモンをゲットする」という楽しみ方にフォーカスを当ててリリースされたポケモンGOにおいては、図鑑の完成こそが究極の目的であるということに異論はないでしょう。

だから私たちは家の外へ出て初めて出会うポケモンに心躍らせ、進化のために同じポケモンを繰り返しゲットし、せっせと歩いてタマゴを付加させてきたのです。それをやることで確実にゴールに近づいていることが実感できたから。たとえ地域限定ポケモンの枠が埋まっていなくても、いつかそこへ行けば図鑑は完成するという確信があったから、図鑑が虫食いでも耐えられました。

状況が変わってきたのは「色違い」と呼ばれるポケモンが出現し始めてからでした。ネットに色違いポケモンの情報が流れ、ジムに誇らしげに配置されたその色違いポケモンは、世界中のポケモントレーナーを終わりのない時間の消耗戦へと駆り立てました。はじめのうちは、色違いポケモンの数も限られていて、もう少し頑張れば手に入れられるだろうという心の余裕がありました。しかし、だんだんと色違いがゲットできていないうちに次から次へと新しい色違いポケモンが投入され、気づいたら色違いを捕まえる気力は完全に失われていました。今は、ジムで色違いのポケモンが置かれているのを見ると劣等感に苛まれるし、ネットなどで色違いゲット報告を見ると悔しい気持ちになります。いざ自分のもとに色違いポケモンが現れても、「まだあのポケモンの色違いも捕まえてない」「次の色違いはいつになることか」とネガティブな発想に。色違いポケモンの実装は完全に私のポケモンGOへの情熱を削ぎました。

そして決定的だったのが「色違い図鑑」の実装。通常のポケモン図鑑は性別や個体値などに関係なく、ゲットすれば図鑑のページが埋まるというシステム。私たちはこれの完成を目標にこれまでがんばってきました。しかし、この色違い図鑑というのは、捕まえた色違いポケモンの枠が埋まっていくという仕様。これが何を意味しているかというと、無慈悲にもトレーナーがゲットしていない色違いポケモンの一覧を見える化することを意味しています。それまでは最悪色違いを捕まえられなくても、ポケモン図鑑の完成には何ら影響がなかったため、色違いをゲットできていない事実には目を瞑ることができました。しかし、こうやって仕様に組み込まれると否が応でも捕まえられていない色違いポケモンがまだ山ほどいることを認識せざるを得ない。本来はおまけ要素、やりこみ要素であったはずの色違いポケモンの捕獲が本編に追加されてしまったがために、見えていたゴールがはるか遠くへ行ってしまったような気になるのです。実際にはほかにも、高個体値図鑑、キラ図鑑など、あらゆる要素に特化した図鑑があり、その完成は程遠く、実質的に全図鑑を埋めるのは不可能なのではないかと思われます。

こうなってしまうと完璧主義傾向のある私の思考は完全に機能不全になり、「どうせ完成しないなら、もうやらない(1か0か)」という結論に至ったというわけです。

2.ポケモンの出現が運営にコントロールされている。

リリース当初、システムや情報網も整っておらず、目的のポケモンを捕まえる手段は、ゲーム内の「ポケモンの足跡」を頼りに実際の道路を行ったり来たりしながら探すしかありませんでした。それはまさに草むらに入り未知のポケモンに遭遇するというゲームシリーズでの高揚と同じものがありました。だからこそそうやって出会って捕獲したストライクや御三家などのレアポケモンには価値があったし、捕獲する喜びがあったというものです。

また、大量発生という非公式のイベントもありました。ある特定の場所(公園など)において特定のポケモンが出現する確率が高く調整されているということがインターネット上の情報で得られたのです。非公式というのは、公式的には発表されておらず、当時は口コミなどから情報を集め、それをまとめているサイトがあったんです。同じ場所でも定期的に大量発生するポケモンが入れ替わるので、私たちはその情報を頼りに、まだ図鑑の埋まっていないポケモンを捕まえに行っていました。

状況が変わってきたのは「コミュニティデイ」が始まってからです。今やおなじみのイベントになっていますが、特にミニリュウのコミュデイイベントは衝撃でした。当時すでに第3世代の実装は始まっていましたが、ミニリュウはまだまだレアポケでした。実際私もまだその当時はカイリュー1体作るのが精いっぱいだったので、願ってもないチャンスでした。カイリューは3体作れたし、色違いもゲットできたしでとても有意義なイベントだったと思いました。

しかし、これが御三家のコミュデイ、タツベイのコミュデイと定例行事になってくると、少し捉え方は変わってきます。この人為的なポケモン出現の操作に違和感を覚えはじめたのです。「レアなポケモンはいつかコミュニティデイで実装されるから頑張って探す必要はない」「コミュニティデイなら簡単に色違いが捕まえられる」となってくると、そこで登場するポケモンをゲットすることに価値も意義もあるのかという疑問がわき上がってきます。私の高校の頃の友人はミニリュウをゲットするために毎日家の近くの川まで行って探していたそうですが、そういった努力をすべて無にしてしまっているのではないかと思えて仕方ありません。

特にこれがよろしくないと思うのが、そのイベントが終わってしまうとぱったりと、どこにもそのポケモンは出現しなくなってしまうことです。おそらくホウエン地方のポケモンが実装され始めたころにはそういった操作が行われていたと思われるのですが、確率の問題ではなく、単純に出現するポケモンが絞られているということです。現在の状況が顕著なのですが、ポケモンGOが公式的に「この時期にこれらのポケモンが多く出現しますよー」とアナウンスすると、どこへ行ってもほんとにそのポケモンばっかり出てきて、まったく面白みがない。そしてその期間を逃すと今度はまったくそのポケモンが手に入らなくなる。レアポケモンとか関係なしに、単にその期間にポケモンGOをやっていたかということしか重要な要素でなくなってしまったのだ。今のシステムは、昔のような自分の足で歩いてポケモンを探すというポケモンゲットの醍醐味を完全に失ってしまった。「生物多様性」と言われるように、ポケモンももっと人為的な操作が見えにくい形でいろんなポケモンがいろいろな場所で出現するようにしてほしかった。

だとしたらポケモンGOは最初からポケモンの出現に関して人為的な操作を行っているではないか、という意見もあがってくることだろう。

答えはイエスである。
ただし、昔と今では決定的に違う点が一つある。

それは、リアルな土地とのつながりである。この項の初めの方でふれた「大量発生イベント」や、川の近くでミニリュウを捕まえていた友人の話にあるように、当初はリアルの場所とポケモンがゆるやかに結びついていた。だから、みずポケモンがほしいから海辺に行ってみるか、とか、昨日はこっちの公園に行ったから今日はあっちの公園に行こうとか、私たちトレーナーはリアルでの移動とポケモンの捕獲を一緒に楽しんでいた。しかし、今はどうだろう。かろうじて地域限定ポケモンの価値は守られている気はするが、公式が「出ますよー」と言ったポケモンはどこへ行っても出るし、逆に出現しないよう設定されたポケモンはどこへ行こうと現れない。ようは、もはやそこにトレーナーの主体性はないのである。あるのは公式のGOサインのみ。(うまい)

3.効率化の裏で貴重な時間が奪われている。

ここ1~2年だけでも、ポケモンGOはどんどんアップデートが加えられている。ゲームとしては、初期と比較してはるかにおもしろいし、公式からの情報発信も増え、ますます遊びやすいコンテンツになっている。とりわけ、出現するポケモンや今後開催されるイベントを公式が前もって告知してくれることによって、図鑑埋めの計画は立てやすくなったし、欲しいポケモンだけをピックアップして効率的に運用することも容易になった。昔のように、やみくもに草むらを歩き続けてレアポケモンを見つける必要がなくなったのだから、なんて効率のいいことか。

しかし、この高効率化が私には苦痛だった。

ポケモンGOの高効率化によってもたらされたのは、プレイに対する義務感である。

以下、例を挙げながら解説する。

1、連続ポケモンゲット日数、連続ポケストップスピン日数
これはかなり初期からある仕様だが、7日連続を達成するごとに特定のポケモンの進化に必要なアイテムがもらえたりする。途中で止めてしまうとまた1からになるからもったいないという気持ちを利用して、ゆるーく続けさせる仕組みである。途中で切るのはもったいないからやらなきゃという義務感はあるが、この辺はポケモンGOの根幹要素だし、プレイヤーを引き付けるためには必要な仕掛けであることは理解できる。

2、フィールドリサーチ
ポケモンを一定数捕まえたり強化したりするデイリーミッション。7日達成するとその月の目玉ポケモンが手に入るというシステム。7日連続である必要はないが、目玉ポケモンはほとんどの場合レアなポケモンであるため、最大4回のゲットチャンスを得るためにはほぼ毎日タスクをこなさなければならない。しかもそのタスクはプレイヤーの意にそぐわない(必要ないのにポケモンを強化させられる、無意味にきのみを使わされる)場合もあり、ストレスとなることがある。(最近は、ARマッピングのためのスキャンが消しても消してもタスクとして登場するため鬱陶しい。スキャン作業は確実に周りの人に変な目で見られるためできれば多くの人がやりたくないはずだ。)

3、期間限定のミッションや効果
コミュニティデイなども大まかな分類ではここに入る。「この期間内にこれらのポケモンを捕まえる」とか、「この期間中はこのアイテムの効果が2倍」とか、「スポットライトアワー」とか、期限を設けることで、今やらないと次いつくるかわからない、今やらないと損、という気持ちを煽り、義務的に作業をやらざるを得ない状況を作り出す。私はこの仕様が始まってから完全にやる気を喪失した。こういったイベントは一回やれば終わりではなく、継続的に実施されていく。いつまでもきりがなく、無限に時間と労力を削がれていくような感覚を覚え、今回のポケモンGO引退につながった。

4、レイドアワー
これも3に含まれるが、レイドシステムに関してはほかに言いたいことがあるため、別立てで語らせていただく。まず、レイドバトルというのが基本帝に「最初の2分ゲー」であることが一向に改善されなかったことが残念だった。ポケGOプレイヤーならこれ以上説明は不要かと思われるが、運営はあのレイドが始まるのを待つもどかしい時間、あの間に奪われている時間をもっと重要事項として扱うべきだった。告知による効率的なプレイングを促進することでも、ゲットモーションを少し早送りすることでもない。ソロで行きたいときは待機時間を短縮したり、人が集まっていないときに待機時間を延長する機能があってもいいのではないか。また、待機者がいることをジムをタップすることなく確認できるようにしてくれてもいいのではないか。レイドバトルをした後の人でも捕獲権利なしで再戦できる仕様にしてくれてもいいのではないか。レイドアワーは結局エキサイティングなイベントとしては機能していないように思える。

このように、ポケモンGOはゲーム性を増すことによって、ゲームとしてどんどん面白くなる一方で、プレーヤーの時間をじわじわと蝕むようにもなってきた。

運営が「よーいどん」のタイミングを決めることによってプレイヤーは効率的にゲームに参加しやすくなったように見えるが、実際には、プレイヤーは運営の手のひらで転がされ、もはやそこにはプレイヤーがコントロールできる時間はない。

いまやポケモンGOはそこらへんのソシャゲと同等のゲームとなり、片手間でのんびり続けられるようなものではなくなっているのである。

もちろんポケモンGOをメインに日々の生活を送られているおじ様、おば様方はそのまま、ポケモンGOを本業のゲームとして続けてほしいが、盲目になってあとから失った時間を悔やまないことを願いたい。

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