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タイが多様であるあまり「タイ人なんていないのでは」と悟りを開いた話。

タイに住んでトータル約2年以上になる。
コロナ以降、いまだ国際旅行をできる状態にないが、国内旅行なら特に規制もなく、気軽にできるようになった。

タイの連休はいつも近隣国に出ていたのだが、このような状況もあって国内旅行をすることに。

つい先日の連休はチェンマイからパーイへ、今回の週末はトランという地へ向かった。

パーイ

トラン

パーイもトランも、それぞれミャンマー、マレーシア国境付近である。

また過去にラオスのビエンチャンへ陸路で行ったこともあり、それらの経験から、タイはいくつかの国と密接につながっていることを認識しはじめた。

改めてタイとはなにか

「タイ」「タイ人」と聞くと「こういうタイプの人だ」とこれまで気軽に想像していたが、生活様式や宗教観が大きく異なる他県へ訪れるたびに、「タイ人とは何か」について考えるようになった。

また同じ会社で働くタイスタッフや、知りあったタイの友人も、一人ひとりの家系の出身国が違ったり、ジェンダーに対する考え方、宗教観も違う。

タイに住む人を「タイ人」という大きなセグメントで区切るには、少々雑である気がしてきた。

タイの歴史について知る

タイに住む時間が長くなるにつれ、タイについて疑問が増えてきたので、歴史から学ぶことにした。

ここでいう疑問は「なぜ、ここまで外国人に対して寛容なんだろうか。」といった疑問だ。

今回歴史の詳細の記述は省略するが、タイではいくつもの国の文化が複雑に入り組んでいる。

この数百年間、ある国と国交をもったり、侵攻したり、されたりと、隣国と密接に関わりながら歴史を繰り返してきた。

そして戦争を経て国境が出来上がる。しかし、国境ができたからとはいえ、その地域の文化が完全に分断されるわけではない。

タイ国境付近のラオス・ビエンチャン では、タイ語を理解する人がいるし、ミャンマー国境付近のパーイに住む人はミャンマー人の顔つきに少し似ている。

またマレーシア国境付近ではイスラムの文化があったりと、タイ国内でも大きく異なる文化圏が存在している。

明確な国境はあれど、文化はグラデーションのように残っている。

これは日本人である自分にとって新鮮に感じた。

日本国内では多少の差はあれど、大きく文化や宗教観が異なることはないし、日本人同士、バックグラウンドに類似している点が多いためか、ハイコンテキストなコミュニケーションが可能である。

海外で住む・働く上で意識したいこと

先ほど、コミュニケーションについて触れたが、日本人の感覚をそのまま海外に適用すると、しばしば苦労することがある。

よく「英語を話せれば海外で働ける」と思われがちだが、英語を流暢に話せるだけでは通用しないと個人的に思う。

たとえば、日本であれば「日本の男子大学生」というセグメントで区切ると、だいたいその人物像を容易に想像することができる。

しかし、タイでは先述したように多様な文化、バックグラウンドゆえ、このセグメントで判断するにはまだまだ粗い。

「タイ人はこういうコミュニケーションを取ればいいんだろ」と、「タイ人」という粗いセグメントをもって彼らに接すると、途端に上手くいかない。

やはり、一人ひとりに向き合ったコミュニケーションが重要であると、改めて感じる。

無理に彼らをセグメントする必要はない。AさんにはAさんのコミュニケーションを、BさんにはBさんのコミュニケーションをとればいい。

(これはすべての対人コミュニケーションにおいていえる。なお、ここで対人とタイ人はかけていない。)

「言わなくてもわかるだろ。」は、これまで述べてきた内容からわかるように、全く通じない。

この「言わなくても通じる」技術は日本人特有のものと理解した方が早い。

ここまで書くと「なんだ、海外ってめんどくせぇな」と思うけど、これができるようになると世界と円滑なコミュニケーションが取れるし、世界に触れられる。

ここまでのマインドと英語がセットで一つのグローバルスキルといえる。

日本でも徐々に外国人労働者が増えていくかもしれない。国内外に関わらず、日本人共通の課題になると思う。

ここまで読んでくれた方が同じ課題に直面した際、再度この記事に来ていただき、何かしらの貢献できれば幸いである。

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