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検閲を恐れて死の間際まで刊行されなかったカントの遺作「諸学部の争い」

こんばんわ。最近でん六のピーナッツ・チョコにハマってるKNT2です。

さて、私の関心の一つに学問の発生論、系譜学があるのですが、ネットサーフィンしていたら、面白い書籍を発見しました。

「純粋理性批判」や「永久平和のために」、倫理学の基礎を固めたりと、八面六臂の大哲学者イマニュエル・カントの「諸学部の争い」です。あまり日本の大学で取り上げられることのなかった著作だと思います。

1798年に刊行されたカントの著作。草稿などを除いた刊行物の中で最晩年に書かれた本であり、発禁を避けるために慎重に時期を伺って刊行期日が選ばれて出版された。(wiki)

ある意味、遺作ですね。学者生命が絶たれるのを恐れて死ぬ間際に出版したという経緯。そそりますね。

概説

カントによれば、人生には三つの重大な幸福の追求があるとされている。
健康の追求(肉体(物質)的)
社会的な平和の追求(社会的)
信仰上の平安(宗教的)
これらのそれぞれを研究する学問の学部である医学部と法学部と神学部は、社会上の権威と同時に権力も握っていた。カントはこれらを上級学部と名づける。
これに対し当時の哲学部は下級学部として、上級学部より劣った立場として扱われていた。諸学部の争いとは、以上の上級学部と下級学部の争いを指す。
カントは、上級学部の価値判断はすべて歴史的・経験的であり、下級学部の哲学による判断の方が先見的・理知的であるとして、上下の優劣の逆転を説く。
つまり哲学こそが、最も諸学のなかで勝る学問であるとした。とりわけ宗教的権威である教会の堕落への批判は痛烈である。

この著作については、ウェブ上に2007年に行われたUTCP(東大哲学センター)による発表もありました。

■UTCP 公開共同研究「哲学と大学──近代の哲学的大学論の系譜学と人文知の未来」@東京大学駒場キャンパス(6 Dec. 2007) 報告=宮㶹裕助
第 2 回 カントの『諸学部の争い』をめぐって

カントの大学論-『学部の争い』小津幸夫
なぜか知りませんが、神奈川大学の国際経営論集のサイトにこういう論文も。
日本の哲学部は、この著作によって哲学のお里が知れるのであまり触れたくないのではないか、と勘繰ってしまいます。

私の過去のエントリーでも、この辺りの事情には触れています。
私の場合はカントの著作ではなく、ロスコー・パウンドというアメリカの法哲学者の主張に拠っています。

このエントリーでも書いたように、長い間哲学者は神学者とポストを争っていました。それを反ローマの列強の王も認めていました。そのため、「諸学部の争い」序言でプロイセン大王フリードリッヒ・ヴィルヘルム二世への弁明が置かれた可能性があります。また、当時のプロイセンでは、まだ学問の自由が確立されていなかったことも明らかにしてくれます。

18世紀末に至っても、欧州ではキリスト教神学と哲学が争っていた事実を、日本人はもう少し知っていても良いと思います。

日本では田沼意次の後を継いだ松平定信が、寛政の改革(1790)で倹約令とか出していた頃。江戸時代の日本の国教は仏教でした。徳川家康が深く帰依していたからです。「厭離穢土欣求浄土」という浄土宗の文句が家康の馬印には掲げられていました。しかし明治維新により廃仏毀釈が行われて、神道が国教となります。

このため、明治維新で最大の勢力を誇った鹿児島県(薩摩藩)は、徹底的に寺を壊したため、今でもほとんど寺がありません。また明治維新後に東京で警察官になった人は鹿児島県人が非常に多く、薩摩弁=警察官とさえ思われていたそうです。

日本では「哲学は反キリスト教である」という部分のみが強調、輸入され、哲学の論理の刃を自国の宗教史に向けることが少ないように思います。

頂けるなら音楽ストリーミングサービスの費用に充てたいと思います。