13月の女の子を観た。(※ネタバレ考察あり)

絶対観るんだ!と決めていた映画「13月の女の子」を鑑賞してきました。シネマスコーレさんにはじめて行ったけど、とても素敵で居心地が良かったのでまた行きたい。

思っていた内容とだいぶ違い、考察したくなったので書きます。ネタバレ有るので注意。

小宮さんが主演ということで知った今作、あらすじを見る限りは百合+SFかな、好きなジャンルだなと思って楽しみにしていたのですが、いい意味で期待を裏切られました。

亡くなった友人を助けるために頑張る話(まどマギ的な?)かと思いきや、ゴリゴリのディストピア。13月ってそういうことか。

本当はもう一度見たいんだけど、どうも厳しそうなので、自分用メモとして考察したいなと思ったことだけ。(ディストピア世界の話は、想像してねという意味で深く描いていないような気がするので、今回は一穂と巫女の関係に絞って描きます)

・前半の巫女(莉音の姿)はどの世界線からやってきたのか?

①後半のディストピアからやってきたなら、ディストピアから巫女が来る→信じられない一穂が巫女に会いに世界線を超える→一穂がディストピアで巫女を救って元の世界線に飛ばす、でループしてしまう。

②全然違う世界線からやってきたなら、それはそれで切ない。ディストピアで一穂は巫女に信じてもらえたけど、巫女は拒絶されてしまったわけで。ううん・・・

前半で「元の世界の巫女にもらった」って言い方をしているから、②じゃないかなと個人的には思う。①なら「一穂にもらった」と言いそうなので。

・一穂が転校生であるはずの巫女の名前を知っていたのは何故?

元の世界の一穂も、既に何度か世界線を移動しているのかな、と思った。一穂の願いは「巫女のいる世界で生きたい」だから、何度も移動を繰り返して元の世界に来て、でもそこでも巫女は亡くなってしまった…ということなのかなと。その場合、記憶とかどうなるの?とは思うけど。

ただどの世界線でも巫女は病気を患っているようだから、巫女そのものの外見では一穂とずっと一緒には生きられないってことだよね。切ない。

それか世界線を移動する媒体として莉音は記憶に埋め込まれているのかな?

・ラストの意味するところは?

莉音の姿の巫女に笑いかける一穂。見方によって解釈が分かれそうだけど、個人的には二人とも「初めて会った日の、あの桜の階段―」を覚えている=無限ループから抜け出せた、という意味だと思いたい。

いやぁ本当に面白い映画だった。上映後舞台挨拶やってほしいな。



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