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【お休み】愛犬について

こんにちは。今日もけんてぃnoteを開いて下さりありがとうございます。

さて、突然ですが、このけんてぃnoteは一応平日投稿を目指しています。まあそれに意味はないんですけど、とりあえずの目標として。
最近のルーティンとしては、一週目でバンド紹介、二週目で先週紹介したバンドのおススメ曲、という感じにしているのですが、今週はGWということもあって祝日を挟んでしまったため、中途半端になってしまったんですね。

なので、今日、明日は少し音楽とは脱線して、全く関係ないことについて書いていこうかなと思います。適当に読んで頂けると嬉しいです。

今日のテーマは、タイトルにもある通り「愛犬」についてです。


愛犬「ショコラ」

私の実家には、「ショコラ」という愛犬がいます。犬種は「カニンヘンダックス」と言って、ミニチュアダックスよりも一回り小さい犬種になります。何枚か写真を載せていきますが、もう10歳近くでこの幼さですよ???可愛すぎません???↓

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ちなみに名前の由来は、確か「黒かったから」だと思います(笑)。姉がつけましたね。私はなんだか忘れたけど違う名前が良かったのですが、圧倒的権力者の姉に力で負けてしまいました…。家族の間では「ショコ」と呼んでます。

この可愛さ、そして3キロぐらいしかない体の小ささですから、それはもううちのアイドル的存在で。何をするにもショコラ優先で考えてしまいます。例えば家族で旅行に行くとき、ショコラは預けるのか連れていくのか。ショコラが体調悪くなってしまった時、誰が仕事を休むのか。実際にショコラが体調悪くなった時、私が学校を休むなんてこともありました(笑)。

ここで、ただただショコラの写真を載せる時間とります。存分に癒されてくれ。

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ショコラとのエピソード

ショコラは私が小5の時から飼っています。今はもう11歳ですかね。

飼い始めたきっかけは、新聞に入っていたペットショップのチラシに「ダックスの赤ちゃん産まれました」と書いてあって、母親と姉と「行ってみよう!!」ってなったことです。当時、私は犬が苦手だったのであまり乗り気ではありませんでしたが、いざ行ってみるとそれはもう可愛くて…。片手に収まるくらいの大きさしかなくて、犬ってこんなに小さいの?って思った記憶があります。


でもその日は見に行くだけで、特に何もなく終わったんですよ。でも後日、家族全員で出かける日があって。その時に母親が急に、
母「ねえお父さん、この子たちが犬飼いたいって言うんだけど、良いかしら…?」
…いや言ってない言ってない。それあんたが飼いたいだけでしょ???私と姉は顔を見合わせました。


でも母親が父親を説得し、なんとか許可が出ました。まあ特に自分たちに被害はないし口実に使われただけだから良いだろうと思ってたら、
母「あんたたちが飼いたいって言ったんだから、お金は貯まってたお年玉で出し合うのよ」
…??????訳が分かりませんでした。その時はまだ子どもでバカだったので、上手く母に騙されましたが、今思い出すとマジで意味が分かりません。
でも、なんだかんだ言ってショコラはすぐうちのアイドルになって。姉も私もすぐショコの虜になりました。
まあ一番なついてるのは母親なんですけどね。


小学校の時から一緒だったので、散歩に連れていくのはほとんど私でした。
うちは両親とも仕事をしていて、家に一番に帰ってくるのが私だったからです。
まず帰ってきたら、留守番しているショコがおしっこやうんちで汚れていないかを確認し、汚れていたらショコをお風呂に入れ、ゲージを外にだして洗い、一通りきれいになったら散歩に連れていく。これが毎日の日課でした。もうすでにショコ中心の世界。
でも、家に帰ってきた時に、しっぽ振って向かってくるのはそれはもう可愛くて…。嫌なことなんて全て忘れられます。世話の大変さなんて気になりませんね。あの瞬間の幸せ感は何にも代えがたいです。

しかし、時には散歩に行くのが億劫になる時もあるんですね。めんどくさいと言うか。そんな時は、散歩に連れてけと訴えるショコを無視したり、散歩に行ったら行ったであまり歩かないショコに苛立ち、無理やり引っ張ったりもしていました。
今となってはそれは有り得ないことで、ショコはきっと、いや絶対に覚えていませんが、私は未だに悪い記憶として鮮明に覚えています。今でもあんなことしなければ良かったと思い出します。

きっとこれは一生後悔することなんだなと思います。

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ペットを飼う意味

よく、子どもの教育にはペットを飼うのが良いって言いますよね。命の大切さを教えることができると言いますか。

確かうちも母親がそんなこと言ってた気がします。「姉が普段自分の部屋でしか過ごさないから、ペットを飼えば、リビングに降りてきて、家族で過ごす時間が増えるんじゃないか」と。実際に家族で過ごす時間は増えた気がします。そういった意味ではうちの教育は上手くいったのかもしれませんね。

※これより下は、少し重い話になっていますので、読みたくない方はnoteを閉じて下さい。ほとんどが私個人の意見です。

ここからは私の個人的見解ですが、確かにペットを飼うことで命の大切さを学ぶことはできると思います。極端な話で言うと、虫や動物を殺さなくなったり、動物虐待に批判的になったり。極端な話ですよ。

でも私は、ペットを飼うことで、「命の大切さ」という曖昧なものよりも、「」というものについて知ることができると思っています。

大体のペットは、人間よりは長く生きられません。私たちより後に産まれ、私たちより先に寿命を迎えます。ペットを飼っている私からしたらそんなこと考えたくないですが、これは紛れもない事実です。考えない訳にはいきません。

私は正直、この年になっても「死」というものがなんなのかよく分かりません。みんなが知っている有名人や、遠い親戚が亡くなっても、悲しいとは感じますが、その人がもうこの世にはいない、という実感がどうも感じられない。え、また会えるでしょ?って思ってしまいます。

これは単純に、その人と一緒に過ごした時間が短いからだと思います。

けど、ペットは違う。ペットと言っても、家族の一人です。
私の話ですが、学校で嫌なことがあり落ち込んでいる時、ショコが私の上に乗って一緒に寝てくれる。ショコからしたら「上に乗せてくれる!ラッキー!」ぐらいにしか思っていないでしょうが、私からしたら、落ち込んでいる時にそばにいてくれるだけでとても救われました。
朝も昼も夜も、ショコと一緒にいるだけで毎日癒されました。

そんな、いつも一緒にいた家族が、自分より先に逝ってしまう。私はそこでやっと「死」というものがなんなのか、感じることができると思います。23歳にもなってそんなことも分からない私ですが、ペットを飼う、だけでなく、ペットを「飼い遂げる」ことが、私たち人間にとって意味のあることなのかなと。ショコの一生をかけて私に教えてくれているのだと思います。

ショコに限らず、家族にも友達にも、会える時にいっぱい会っとかなきゃな。

こんなことを話してますが、ショコラはまだ生きてます。もう11歳のおばあちゃん犬ですが、まだ元気なので、急に会えなくなって後悔しないように、これからもショコとの時間を大切にしていきたいなと思います。
早くショコに会いたい。コロナ収まって。


この記事の私の表現で、不快にさせてしまったら申し訳ございません。全て私の個人的見解であり、あなたの考えに意見をするつもりはありません。
最後に可愛いショコラを置いときます。

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