国語教師が考える、なぜ本を読むのか、そして人はなんのために生きるのかという話

みなさん本は読みますか?

僕はというと、教科書とかの教材を除けば、多くて月に10冊程度、読まない月だと1〜2冊くらいなので、世間一般ではそれなりに読む方だとは思うが、仕事のわりにはそんなに読まない方かもしれない。

「なぜ本を読むのか」と聞かれると、答えはただ一言で「おもしろい」から。
とっかかりとしては、仕事に必要だったり、狙ってるコや好きな先輩に勧められたり、「こんな本読んどいたら知的に思われるな」なんて変な自意識だったり、「最近読んでないから仕事柄そろそろなんか読もうか」みたいなゆるい義務感だったりもするのだが、読み始めると大抵の本はおもしろく、また、稀に出会う何一つおもしろくない本も、小馬鹿にしてニヤニヤ笑うという、かつて「真剣10代しゃべり場」を見てた時のような視点に立つとそれはそれでおもしろく、最終的にはやっぱり「おもしろくて読んでいる」という状態になる。

ではこの「おもしろい」とはなんなのか?

これについてはピース又吉直樹先生の『夜を乗り越える』という本に非常にしっくりくることが書いてあった。
引用したいところだが、手元に本がないので、思い出しながら簡単に書くと

①自分が頭の中でモヤモヤと考えていたことを、綺麗に言語化してくれている文章に出会うことがあって、その時の共感。

②自分が思いつきもしなかった思想や思考に出会うことがあって、新しい世界が広がって自分が変わっていく感覚。

正確ではないかもしれないが、大体そんな感じの内容だった。
どちらも非常に腑に落ちたし、読書の魅力というのはこの2点がほぼ全てだと思う。

強いて3点目を挙げるとするならば

③なんか自分が頭いい感じに思える

という頭の悪い魅力もあって、自尊心が満たされる喜びである。
例えば伊坂幸太郎の初期作品なんかを読んでると、ちょうど伏線回収の直前でオチに気付けて、賢い気分を味わえる。全くおもしろくない本をニヤニヤ小馬鹿にしながら読むというのも、「俺はそんなことわかりきってるぜ」という感覚を味わうわけで、これに当たるか。

ともかく、僕にとって『夜を乗り越える』との出会いは、まさに①だったわけだ。

で、大切なのは①②③いずれにしても、その瞬間が「気持ちいい」ということだ。
(というか又吉さん自身、①②の2つを快感だと書いていたような気もするが、そこはちょっと記憶があやふやである。)

そしてこの「気持ちいい」こそが、人が生きる理由そのものだという気がしている。

昔『松本紳助』という番組で、ダウンタウン松本さんと紳助さんのこんな会話があった。

「紳助さんは料理したり、ゲーム会社で働いてみたり、本業以外にもいろんなことしてますよね?せっかくそんなに笑いの才能があるのに、どうしてお笑い一本でいかないんですか?」
「俺はこの仕事してて、爆笑取った瞬間ってめっちゃ気持ちええねん。でもな、この気持ちいい瞬間が他にもいっぱいあるんちゃうかと思ってねん。だからその気持ちいいことを探してんねや。」

この紳助さんのセリフこそが、まさしく人生であり、人はなんのために生きるのか、という問に対する答えだと思う。

「人生は気持ちいいポイント探し」
ただそれだけのシンプルなものではないか。

本を読んで、又吉さんが書いているような2つの感覚に出会う瞬間はとても気持ちいい。(ついでに③も)

この仕事をしていると、授業中、毎回ではないが生徒の反応から「今伝わった!」と実感できる瞬間がある。この瞬間もたまらなく気持ちいい。
部活や行事を通じて、たまにこちらの想定を超えるような生徒の成長を目の当たりにすることもあって、この時も気持ちがいい。

他人を完全に理解できるわけなんてないと知ってはいるが、飲みながら話なんかしてると、酔いの先に、なんだかわかりあえたように感じられる瞬間がある。これまたものすごい快感である。

女の子を口説いて、うまくセックスに至る合意を形成していく過程もピースがはまっていくようで気持ちいい。
もちろんセックスそのものも気持ちいい。

人を笑わせた時も気持ちいいし、何かの拍子で食べ物をめちゃめちゃ美味しく感じたり、何かの作品を鑑賞して感動の涙を流したりするのも気持ちいい瞬間だ。

そんな気持ちいい瞬間をひたすら探して味わい続けることだけが人生の目的だと思う。

「何がやりたいかわからない」多くの高校生はそう言う。
30歳くらいの若い子と話をしても「自分が何の役に立つかわからない」とか「生きる目的がわからない」とか、そんな悩みをよく聞く。
そんなめんどくさいことなんか考えないで、自分はどんな時に気持ちいいのか、そこから全部考えればええんちゃうかな。
人生に大した意味なんかないよ。
とことん自己本位に生きればいいのだ。

そうやって気持ちいいことを探してると、「人の役に立つこと」ってのも実はかなり気持ちいいってことに気付くだろう。
国民のために働く政治家も、人の命を救う医者も、弱者に手を差し伸べる活動をするNPOも、結局みんな本質はどっか自分のためで、たぶんそれが気持ちいいからやってるわけですよ。

それに人間なんて結局社会の中でしか生きられないんだから、ある程度の関係性は必要なわけで、一時的にではなく、ずっと自分が気持ちいいポイントを探し続けるためには、そうそう他人の不利益になるような無茶はできない。

みんなが自己本位に生きても、きっと問題なく社会は回る。

というか、そうなるように調整するのが法やシステムを作る側の責任だ。

だからルールに則ってやってる以上、他人の「気持ちいい」を過剰に制限する権利なんて誰にもないのだ。


だからこの時期の開催について賛否はあるだろうけど、参加者を非難してもなんにもならんよ。

「フジロックに参加してコロナ感染した奴は、自腹でどんなに悪化しても入院させるな!!」
とか騒いでるアホを見て、そんなことを思った。

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