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「創造する」ことは「生命維持の手段」だと思っている話

最近はアレクサが友達、20代起業家女の頭の中。
#ノート5冊の魔法 のなかに書いている自分と付き合う魔法をピックアップして、ゆるやかに気まぐれ発信です。
共通の友人がいる人はぜひ仲良くしてください。笑

※発信内容は「今日まで時点」のわたしが感じたことです。悪しからず。
※書きながら対外向けに整理してる部分もあるので温かく見守ってください。あまりとげとげした意見はニーズありません。笑

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もし創造することを、

「自分を表現すること」
「志を立て実現すること」
「イノベーションを起こすこと」

などだとするなら、それは私にとって必ずしもポジティブなことではないです。

今日は、ノート5冊の魔法 の中に書いていて、自分とうまく付き合うためのトピックの1つである、
「創造する」ことは「生命維持の手段」だと思ってる話について書こうと思います。

"生命維持の手段"とはどういうことか

私は26歳のときに事業をはじめて、地道に日々を前に進めています。

「なんで事業をつくろうと思ったの?」
よく聞かれるんですが、私はどちらかと言うと消去法での手段選択です。

こんなこと言ったら怒られちゃうかもしれないですが、「つくること」について、志だとか向上心などだとかは正直あまりないんです。

私にとってはそういう類のものでは全くないです。それ以前の「欲求」に近いものだと理解しています。


ノート5冊の魔法にも記載しましたが、私は16歳から摂食障害になって数年間引きずったことがあり、イキイキ生きる、とは・・・というのをずっと考えている生きづらい人生を歩んでおります。笑


大学では心理学を勉強し、紹介してもらいながら大学4年間で1000人と1対1で30分以上話すキャンペーンをひとりでやったり、叶えたいことをインタビューしながら世界一周したり、旅や日常を通して本当にたくさんの人と出会う機会を意図的に設けてきましたが、「イキイキ生きる」ことへの形は人それぞれ。本当に色んな形があるということを、理論でも実体験でも、色んな人の話からも理解しました。

「イキイキじゃない」を考えた

ただ、色々話を聞いたり研究する中で、現代っ子が「イキイキじゃない!」と思う感覚に下記3つが共通している、と今日時点までは思っています。

1つ目は、エネルギーを注げるものがないとき
2つ目は、周りの人との関係性が(良く)ないとき
3つ目は、自らの意思で決めていないとき

そして私の場合は、さらに厄介なことにそれらが複雑に相関しており、
・自らの意思でやっているという自覚を持たないと熱量が持てない
・熱量を見えるものにしないと落ち着かない
・周りの人とハッピーに過ごせないと、上記の熱量を注ぎきれない(集中力が散漫してしまう・一人でてきることには限りがある)
そしてそれらが欲求レベルで存在することを自覚している、
=つまり、"生命維持できない"です。

だからこそ、「イキイキはたらく」選択肢を増やすこと、それを実現できるハブとなる事業づくりを行うことを会社の事業理念にも掲げています。
そして、私自身も事業も、100%に至る未来はないと思っていて、その余地「もっとこうしたい」「こうできるのに」が常に残っていること自体も含めて考え続けられる人が増えることがいいと思ってやっています。

そうでないと日常に耐えられない

イーロン・マスクがあるインタビューの中で、
「なぜそんなに挑戦するのか」と聞かれた時の回答。

いつもの彼ならば壮大な世界観を語るなか、その時は、

「そうでないと日常に耐えられない。」

と言いました。

「それ(情熱)は能動的であるようにみえて、人は(情熱の)奴隷である。」

心理学者のエーリッヒ・フロムは、こう記しています。

"創造することは生命維持の手段"
だと思っている私は、この言葉にとっても親近感を覚えます。

目の前の欲求を見える化する

これを読んだ誰かの心が楽になったらいいなと思っているのが、
「志を立てよ」「大志を抱け」「志高く」
なんて、そんなに崇高なことに捉えなくて良いのでは、ということです。
(発した偉人の皆様はもちろん大尊敬していますが)
何か物事に取り組むにあたって、そんなに気構えてハードル上げなくてもいいのではないかなということが言いたいです。

志っていう言葉にするには、自分の熱量はちっぽけで。
何か大きなことをしないといけないと思ってしまう。

私の場合、志はなにか、非常に崇高なものだと捉えてしまいがちで、軽々しく言える気もしないし、多分走りながら変わってしまう。

"創造する"
それ自体(創造することじたいの捉え方の幅)は別の視点で色々考えがあるので割愛しますが、

わたしがここで言いたい、
"創造する"とは、
"目の前の欲求を見える化"することです。

欲求を言語化し、熱量を注ぐ先を自分で納得して決めて走りながらいつの間にか志に変わっていればいいなと思うのです。

比較することすら忘れてしまう自分になると、ちょっとイキイキにつながる

20代前半の私は、周りと比較して焦ってばかりいました。

でも、ただ欲求を言語化し続けて、形にすること(事業)を前に進めてきただけで、比較することすら忘れている自分に気付きました。


創造すること=欲求レベルで、きにかかることを見える化していったら、きっとその先に、自分だけのイキイキ生きる、がみえてくるのかなって思います。イキイキ生きたいのに、抑圧してる状態にい続けるのは、なかなかにハードモードです。

だから、創造すること(欲求レベルで気にかかることを形にすること=私の場合はそれを事業という形で形にしようとしている)は、生命維持の手段(イキイキ生きるために必要なこと)なのだと思っています。

何かに取り組む理由は高尚なものでなくてよくて、好きとか嫌だとか、あなたのその感覚を言語化するだけでご自身がイキイキ生きるための羅針盤になるし、小さなその欲求、感覚を言語化することだけできっと、救われる誰かがいると私は思います。

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