言葉を便利にするほど、日本人の感情は陳腐になっていく
みなさんは、「エモい」って言葉よく使いますか?
私は一時期狂ったように使ってました(笑)
今回この文章を書くにあたってこの「エモい」ってどんな時にどんな意味で使われているのかを調べてみました。
すると
「エモい」に含まれる感情として、
感傷的、感動的、郷愁的、哀愁、寂しい、懐かしい、情緒がある、ノスタルジック、やばい
こんなにもあるらしいです。ただびっくりしたのが「エモい」の中に「ヤバい」が入っているということ。
このヤバいも色んなときに使われるから、結局どういうことなの?と疑問をもってしまったので、
続けて、私は「ヤバい」について調べることにしました。
そもそも「やばい」にはちゃんと意味があるそうで
危険や不都合な状況が予測されるさま。(小学館『大辞泉』より)
だそうです。
もともと否定的な意味で使われていたようですが、今はプラス・マイナスどちらの意味でも使われることが多いですよね。
「やばい」という言葉を言葉で表現したことのある、状況や感情をアンケートしたところ
あやしい、びっくりしたとき、おもしろい、楽しい、感動、緊張など
非常にたくさんの感情が表現されているようです。
今回僕が言いたいのは
「エモい」「ヤバい」って便利な言葉だよねー
なんてことではなく、
もっと豊かな表現ができたらいいよね
ということです。
日本語って非常にきれいな言語なんです。
現に海外の方は日本語というものを美しさや複雑さを独自の文化と捉え、絶賛しているようです。
海外の方が外国語に訳す際に非常に難しいと感じる言葉があるようで、
もったいない、わびさび、切ない、初心、恋など
まだいくつもあると思いますが、そのような現象が起きているということは、日本人という人種はもともととても感性に優れていて感情が豊かであったといえるのではないでしょうか。
例えば
「みる」という言葉をとっても、状況次第で
観る、診る、視る、看る、眺める
といった様々な形に変化します。
感情を表す「さみしい」でも
寂しいと淋しいではすこしニュアンスが違いますよね。
こういったように日本語というのは複雑だからこそ、豊かな表現力を持つ言語だなと思っています。
ところが現状、私も含め若者というのは、いろんな感情を一個の言葉に集約しようとしすぎです。
たしかに「エモい」だったり「ヤバい」といった言葉は、
どんな感情も簡単に表現することができるため非常に便利です。
ただ僕が思うのは、感情というものは人間にとって大事なものであり、また危険なものでもあります。
その複雑性のある感情を簡単な言葉で表現してしまうと、どうしても本来思っている事と外に出した言葉に乖離が生じてしまい、全然伝わらなかったり、浅はかに思われたりします。
それが知らないうちに相手を傷つけてしまったり、良からぬ人生の転換期になってしまうかもしれません。
今一度、豊かな言語表現のある日本に生まれたものとして、言葉の重みをちゃん理解してほしいです。
あなたは好きな人に告白するときに
「やばいから好き」なんて言わないはずです。
相手の性格や仕草、優しさに魅了され、その魅了されたときの気持ちを頑張って言葉にして伝えるでしょう。
Written by Hikaru Koike
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