自らの意思で選んだ「進学」で、受動的に学びを待つという姿勢は、自分の成長を止めている。
皆さんは勉強は好きですか?
こう聞かれて、「好きです!」と自信を持って言える人は少ないはずです。
なんのために大学に来たのですか?
こう聞かれると、ドキッとするかなと思います。
今回は、綺麗事ではなく、なぜ前向きに学習できないのかということについて考えてみたいと思います。
耳の痛い前提からお話しすると、
「学ぶため」に大学にきたのだと思います。
なぜなら、大学は「学ぶ場所」なので。
では、何を学ぶために今の大学、学部を選んで進学しましたか?
きっと、高校3年生の時、そこまで見えていた人は少ないのが事実だと感じています。
入る前は受かるために勉強をしてきて、
大学に入ってから、「なんのために大学に来たのか」と問われて、
半ばこじつけるように意味を見出そうとしているのだから、
しっくりくる答えに出会うことは難しいと思います。
これは、実は現代だからこそ存在する問題です。
今の日本は、教育制度の安定と経済的成長を背景に、世界の中でも就学率が高いです。
歴史を見ても、右肩上がりです。
つまり、学校にいく(或いは、高校を卒業したら大学に進学する)という選択肢が当たり前に与えられています。
これ自体は社会全体にとって良いことですが、
学校に行くのが「当たり前だから」という理由で進学する人がとても多いということです。
小学校や中学校は、義務教育なので例外かもしれませんが、
高校以上では、教育を受けることは義務ではなく権利になります。
つまり、「学びたい」という個人の意思があって初めて進学するという選択肢が出てくるのです。
「進学」に対するハードルが下がれば下がるほど、「学びたい」という意思は関係なくその選択肢が「当たり前」になります。
皆さんもお気づきのように、大学には担任の先生はいません。
親身に学習計画を立ててくれる存在は自分しかいません。
何のために何を学ぶのかを、自分で考えて選ばなければなりません。
さらにいえば、社会に出てから、
「教えてくれる人」や「課題を与えてくれる人」はいません。
自分で課題を認識し、「学び」び行き、教えてもらいにいき、自分で成長していく力が必要です。
この力がなければ、どんな社会人になってしまうか、想像に容易いと思います。
そして、今から、ここから、考えてみてください。
自分はどうなりたくて、何をしたくて、どんなことのために、この期間に何を学び、どう成長するのか。
そして、その学びは具体的にどのように得られるのか。
written by Hideaki Shimoshige
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