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20230930


端くれながらの絵描きである僕でさえ、描くために使う目と日常の視覚に使う目とが異なる事を承知している。どう違うかといえば、前者は「観察」という言葉のあるように"観る"であり、後者は目に足がついて勝手にほっつき歩く形である。"見る"だけで即座に描くのだとすれば、或いは僕は自らの脳を診ているのだろう。
スマホの写真の軽薄さについてよく考える。集合写真は良いとして、綺麗だといってすっと撮影した夕日の軽薄さである。美味そうといって撮影した食事の軽薄さである。また、写真になってから良く見えるようにとして物を飾った軽薄さである。単純に景色が画素の低いペライチに成り下がってしまう事によるつまらなさもあれば、無闇やたらに連写し決して元の景色を観なくなった彼のつまらなさが大元としてある。貶したようだが、普段見るように写真を撮る、これがスマホの便利機能たるカメラの本懐だから以上の事は突き詰めたって仕方がない。


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