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人相


20230818


人相というものがある。人物像の第一で、存在上人間であるからには、我々人間にとって人面の意味は多大である。嫌だと思えば嫌であり、朗らかと思えば朗らかなのである。DNAのことなのだからこれに抗う術はない。一点あるとすれば理性あるいはまたDNAの記述による”慣れ”のみである。自画像を描くにあたって、画面上には数多の人の人相が、打って変わって現れる。

神は細部に宿るという意味は人間の意匠の細かな取り繕いではなくむしろ描き表さんとする元々の景色への誉である。あるいは前者の俗の事は、その再現の事である。

鏡の僕の顔よりも幾らか眉間が近ければ、それはそういう人間の人相である。顎が広く立派であれば、それはそういう人になる。果たして僕はどういう顔だと突き詰める訳だが、終いには、そこには配列されたデータのようなデジタルの影がぎるのだ。人相は果たしてDNAである。僕の存在また人の、意思疎通のあれこれも全て決定事項の数字の事である。仏教がここでぴかりと光る。

神は細部に宿ると言う。

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