小説にこそCEROがいる
※個人的意見な上あまり調べていません、悪しからず。
CEROという存在は、ゲームに触れていない人には全く分からない存在でしょうが。ことゲーマーにおいて知らない人はいないといえる存在でしょう。
CERO……”特定非営利活動法人コンピュータエンターテインメントレーティング機構”は、Nintendo SwitchやPlayStation5といった現代の家庭用ゲームにおける表現の倫理規定の策定及び審査を行う、ゲームの対象年齢を取り決める機関です。
査定される倫理規定は犯罪や性的表現、放送禁止用語と多岐に渡り、その数と程度によってA~Zの区分が決められるようになっています。
私個人としては、小説にそういった区分表記が欲しいと時折感じます。
というのも、一般的な小説においてはセクシャルな表現。いわゆるエロ表現が多く、それを判別する手法がやけに少ないのです。
過去の忌まわしき記憶
私は小説を主にジャケ買い、つまり表紙を見たフィーリングで購入する人間なのですが。「なんか綺麗じゃん」と買った小説が、水筒にお酒を入れ、本屋のアダルトコーナーを周る描写をねっっとりと描いていたり、引くほどのセクハラを喋る高校生の主人公がいたりすることがザラなのです。
過去の記憶の中で最大の苦痛だったのは、平置き魅力のポップつきで思わず買った【雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール】を読んだ時です。
洗脳カルト叔父さんや、DV兄貴の復活の模様をエログロたっぷりに描いた狂気的な小説で。人によっては面白く感じることはあるかも知れませんが、劇薬のようなそれは私にとって、きつくて辛いものがありました。
精神形成が未発達だった高校時代に読んだせいか、今でも性的表現をみると吐き気や嫌悪感の方が先に来ます。
そもそも、私が小説で楽しみたいのは性的表現の耽美さではく、違う環境やや含蓄によって他人の感情を楽しむことです。
そもそも、なんでこんなにアングラな表現が許されてるんだろう…….いや、そこが小説のいいとこなのかもしれないけど。
ただ、そうだとしてもレイプやらすり潰しやらの表現を流れ弾で食らうのは精神的にきついですし、小説によって生まれる現実味の中から放たれる生々しいセクハラ発言は普通に辛いです。
でも避けたくっても避けられない。
基本的に小説本体には簡易的なあらすじが載せられてあるだけで、それも文庫本のみでハードカバーの小説たちは確認もできない。
だから、正直最近のラノベの激長タイトルがトレンドになっているのも分かるのです。自己申告制で地雷を教えてくれるので、ちょっと良心的な気もするくらい。
でも、ラノベと小説で得られる栄養素は違うので、安心して小説を買いたい。そういった指標として、CEROのような定量的に倫理性を査定する何かが表示をしてくれるのはありがたいですし、あったらいいなぁ。と思うのす。
ただ、そういう機関は嫌われる
しかし、小説のような雑誌等の媒体においてもCEROのような機関がない訳ではありません。
そう、有害図書指定ですね。極端ですがそうなります。
実際、その指定は「青少年の健全な育成」を標榜しています。
ただ、現代の有害図書指定は出版界隈における癌のように取りざたされており、事実そのような部分があるようにも感じるのです。
有害だから販売しません、というのはやはり極端な部分があります。
そもそも、その「有害」の程度というのはベクトルが全て異なり、グラデーションのように尺度も全て異なります。
それを一律で禁止という形で取り締まる。ましては個々人の認識によって異なる”表現”という分野において行うのは難儀が過ぎると思うのです。
だからこそCEROのような、全部を一定の基準でみる小規模な団体などではない大きな目が欲しいのです。
まあ、といってもCERO自身も有害図書指定と同じような部分がない訳ではありません。
CEROの活動内容自体が[査定と規制]に集約されている宿命か、悪名や風聞は留まることを知らず、一部においては蛇蝎の如く嫌われている存在でもあります。
最近では大規模開発ゲームである【The Callisto Protocol】がCEROレーティングを取得できなかったことを理由に日本での販売中止を決定しており、それによる一連の騒動から普段ないCERO事務局に対するインタビューが実施されたほどでした。
この販売禁止の波はグロテスクな描写の多い海外ゲームを中心に始まっており、海外でのゲームタイトル愛好家たちは、自分の好きなゲーム達が日本販売されずに終わり、いつか一般的なゲームタイトルですらローカライズされずに終わるのではないかという危機感を覚えている訳です。
事実、近日発売予定の【Dead Island 2】も日本での販売予定日を公開しておらず、日本での販売が行われないのではないかと噂されています。
しかし、そのCEROの[査定]というシステム自体は重要であり、他の媒体においても導入すべくだと個人的には...…個人的には思うのです。
実際に存在するのか、近いものはないのか
改めて考えれば、私の求めるものはTwitterに導入されているワードミュートや、pixivに導入されているカテゴリ検索のようなものではあるのですが、小説にそういったものが導入できるのか正直分からないのです。
ゲーム等よりも極端に数が多く、読者は分散しやすいのであれば、人気作に割かれるカテゴリが上昇し、その意味が成さなくなってしまうのではないかと感じています。
実際に近いものはないのか探してみたのですが、多分一番近いのは国会図書館デジタルコレクションなのですが、検索の除外が出来ない辺り、地雷の回避という面においてはあまり役に立たない気がします。
一旦切り上げ
なんとなく思ったことを書いてみたのですが、実際の所いい感じの地雷回避方法が小説にはないので、何とかして欲しいだけなんですよね。
自衛したいけど、その方法が分からなくってお手上げな状態。
こういうとき自身の情弱さが恨めしいのですが、一旦ここで切り上げとします。
もし、最後まで読んでくださった方がいるのであれば。このような一人言にお付き合いいただき、ありがとうございました。
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