小説を書かずに、削る

12月の文学フリマ東京に向けて「くらやみ坂のナツミ」という小説をせっせと書いています。

どんな小説なのか、って話は年末まで取っておくとして、「菜採(ナツミ)」を主人公にした短編が四つ、全部で100ページになる予定です。

ページ数を具体的に言える、ということは、実はもう4話分書きあがってるんですよ。

ところが、これが100ページをちょっと超えている。

700円ぐらいで販売したい、と考えているので、印刷所の見積もりを見てみると、100ページに収めないといけない。

というわけで、今、書いた小説を削っています。

ここ半月程は、せっかく書いた小説をゴリゴリ削る作業ばっかりしています。

表現を調整して二行が一行になるようにしたり、

余計な説明文を削ったり、

改行してる文を一つにまとめたり、

いっそ場面そのものを削ったり、

小説を書いているつもりだったのに、いつの間にか小説を削っているのです。

でも、そうやって削っているうちに、「この部分がもっと引き立つように書き変えてみるか」「いっそこの展開を変えちゃうか」みたいな決断をすることもあり、物語が少し面白くブラッシュアップできてるような気がするのです。

やっぱり、「制限がある」って大事なんですね。

むかし、好きなラノベの作者が「紙の本よりもネット小説の方が好きだ」と書いてるのを読んだことがあります。紙の本だと「あと数ページで終わるから、物語もそろそろ終わるなぁ」ということがわかっちゃうけど、ネット小説にはそれがないのだ、と。

確かに、ネット小説には制限がないから、好きなだけ書けます。

でもやっぱり、ページ数の制限がある方が物語が締まるなぁ、と小説を削りながら感じているのです。

制限のないままに書いてると、どうしても余計に書きすぎてしまうのですね。「筆がのる」と言えば聞こえがいいけど、自分語りに走ったり、設定の説明セリフを書き連ねたり、一個で伝わる喩え話を3個も並べたり……。

編集者がいればそういうところは赤ペンで直してくれるんだろうけど、こちとら一人でやってるわけなんですよ。その際の客観性の物差しとして「ページ数の制限」というのは大きな役割を果たすのではないか。

アニメを見てる時もそんなことを思いますね。半年という長いスパンのアニメの場合、ダラダラとお話をつづけるよりも、1クール目のお話は1クール目でスパッと終わらせて、2クール目からはまた新たな展開をやる方が、お話にメリハリが出て面白くなります。「3か月でひとまず話を終わらせて切り替える」という制限があるからこそ、おもしろくなるわけですね。

ちなみに、僕のnoteは1500字までと制限を決めているので、このへんでそろそろ終わります。

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