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あのキャッチボールをするために俺は生まれた

進撃の巨人のアニメが終わりましたね。このまえようやく見終わりました。
私はアルミンとジークとの話がとても気に入りました。
ジークは「どうせ死ぬのに、どうして人は、生物は産まれるのだろう?、増やそうとしようとするのだろう?どうせ死ぬのに」と考えた。
それに対してアルミンは、

「あれは、風が妙に暖かくて枯葉が待っていた。いつもの3人でかけっこをしよう!ということになり、やっぱり僕はドベで、エレンが一番でミカサはエレンに気を遣って二番で。。。

僕は 3人でかけっこするために生まれたんじゃ ないかって…、そう思うんだ」


ジークにとっては、クサヴァーさんとのキャッチボールです。

これは諫山創先生の作ったフィクションです。今の日本とは比べ物にならない残酷な世界のお話。

でもこれは全てに当てはまる気がします。
どんなに残酷な環境に生まれたとしても、生まれた意味はあるというか。
それは植物や家畜、微生物、果ては土や岩にも言えることだと思う。
意思をもたないはずの土にそれを当てはめるのは、暴論かもしれないが私には、
それがスッと入る。

映画「男はつらいよ」でも甥のミツオに「おじさん、人間ってなんのために生きてるんだろう?」と問う。

寅さんは
「そりゃおめえ、、

あ〜、、!生きててよかったなあ〜!
って思うことが生きてりゃ何遍かあるでしょ?お前にもよ。
そのために生きてるんじゃないのかねぇ」

山田洋次監督も諫山創先生もまるで違うアプローチですが、同じ山の同じてっぺんを目指して歩いてきたのだと思う。

進撃の巨人のアニメ版では「それでも人々は戦争をやめない」で終わる。
なんなら、また巨人が生まれる可能性だって一番最後に見せてる。

苦しみと絶望の繰り返し。人類はなにも学ばなかったとい結末。

しかし、それでもアルミンの出した答えだけが救いだと思う。

エレンの母にとっては、エレンを自分の腕に抱くことだろう。

ふと、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」のコピー

生まれてきてよかった

が思い浮かんだ。全て違う人生観の持ち主が目指してる山頂は同じなのだと思う。まあ「宮さん」は拒絶するかもしれないが。あの調子なので(笑)

私はどうしても野球ボールが欲しくてこのまえ買って、今もちながらこれを書いている。

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