善意の押し付けが生む迷惑行為

世の中にはいろんな人がいますが、そのなかで個人的に「困ってしまう残念な人」というのが存在します。それは「善意でやっていることが、他の人にとっては迷惑な人」です。今回は具体的な3つの事例を紹介しつつ、今の自分に対しても、将来の自分に対しても「こんな人にならないように気を付けましょう」という戒めとしたいと思います。

【事例1~聞かれてもいないアドバイスをする人】
こちらの事情も良く知らないにも関わらず、上から目線でアドバイスしてくる人、本当に困るしムカつきます。そんな人のアドバイスは、「そんなことわかっとるわ!」か「的外れ過ぎて役に立たんわ!」となることが多いように感じます。
本当に役に立つアドバイスをくれる人は、相手から聞かれるまではアドレスなんてしませんし、そもそも相談する側も「この人の意見を聞きたい」と思って尋ねるので、有意義なアドバイスを得られやすいのです。
しかし自分自身も要注意で、私自身が「こんな人になる確率が高い」と思っていますし、以前の私は実際にそんな人だったと思います。こういう人は(私も含めて)、普段は周囲から認められずにいることで自己肯定感が低い状態にあり、その結果「世間に認められたい」という承認欲求が強くなっているのではないか・・・と思います。

【事例2~「いらない」と言っても、モノを持ってくる人】
例えば誰かの家を訪問する、家に余っているものがある、何かのイベント等の際に「誰かにモノを贈る」というのは特別なことではありません。そのなかで、もらった相手が嬉しいと思うモノなら最高ですし、そうでなかったとしても、その気持ちが嬉しかったりすることが多いので、殆どの場合は大きな問題にはならないと思います。
しかし、世の中には相手が最初から「いらない」とか「持って来ないで欲しい」と伝えているにも関わらず、それでもモノを持って来る人がいます。そして「いらないと言ったのに何で持ってくるんだろう?」と残念な気持ちになるだけでなく、受け取らなくても、受け取ったとしても、どちらにしろ嫌な気持ちになるという苦しみを味わうことになります。さらに受け取った場合、「いらないから捨てたい」と思っても、「捨てることに対する罪悪感」も湧いてくるので、そんな場合は更にダメージが大きくなってしまいます。
正直言いますと、私にはこういう人の考えが理解できないのですが、ただし誰かに贈り物をする際に、相手が喜ぶものをしっかり吟味して選んでいるか、贈るタイミングは適切か等々、「『誰かに何かを贈る』という行為に対して、真剣に向き合えているか?」と問われると、正直あまり自信がありません。ついつい「相手が喜ぶもの」ではなく「自分が贈りたいもの」を選んでしまいがちですし、贈るタイミングも配慮が足りなかったり・・・と反省することも少なくありません。

【事例3~宗教の勧誘】
実は少し前にも我が家に来たのです。いきなりピンポンを鳴らし、急いで玄関に行くと知らない人が立っていて、何かと思って話しを聞き始めると宗教の勧誘だったりするのです。私は訪問販売の人も好きではありませんが、彼らは仕事でやっていますし、「急な訪問で申し訳ないのですが」という「相手に余計な手間と時間を取らせている」という自覚がある人が多いので、それは「百歩譲って・・・」という感覚になります。
しかし「宗教の勧誘」で来る人は、「私はあなたを救うために来ているのですよ」と言わんばかりで、相手に迷惑を掛けているなんて自覚もないようで、何なら「どうしてあなたは救いを拒むの?」と言わんばかりの態度を見せてきます。ついでに言えば、コロナ禍という「人と接するのが怖い時期」でも宗教の勧誘は遠慮なく訪問してきます。むしろ「世の中が混乱して、みんなが不安に思っているときこそチャンス」と言わんばかりに訪ねてきます。
ハッキリ言いますが、私は宗教の勧誘が大嫌いなので、このような人になる心配は皆無だと思いますが、これから先に何がどうなるかわかりません。「もしも未来」に備えて書き留めておきたいと思います。

上記以外もあるのかも知れませんが、こういう人達は「善意」や「正義」でやっているので、他人に迷惑をかけているにも関わらず罪悪感がないことが最大の難点です。

何はともあれ、現在の自分にも、未来の自分にも、こんな人にならないよう気を付けて欲しいですし、こんな人達と関わらないで済むようにして、毎日を楽しく過ごしていけたらなぁと思います。

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