忙殺
忙殺とは完全に言い過ぎである。
ただ、今週はそれなりに多忙を極めた。
連休の前に潰せる仕事は潰したので、
あとは連休後の自分に任せることにする。
何となく「忙殺」という字面を見てみる。
「忙しさに殺される」という。いささか過激だ。
この熟語を考えた人は、自分が忙しかったのか、
それとも忙しそうな人を見て思いついたのか。
いずれにしても大袈裟な人だなと思う。
何となく、辞書も引いてみる。
《「殺」は意味を強めるために添えたもの》とある。
なんなんだそれは。
忙しさに殺されるんじゃないのか。
つまりこの熟語は「殺」という字を、
「超」とか「めっちゃ」とか「ウルトラ」ぐらいの
ニュアンスで使っている。
簡単に刃物を振り回す感じが怖い。
また、この熟語が成立するなら、
他にも「『形容詞』+『殺』」という構成の言葉があっても良いような気がする。
嬉殺
楽殺
寂殺
悲殺
恥殺
美殺
試しに創作してみた。いちいち凶悪だな。
その意味がなくても、文字のパワーが強すぎる。
調べてみたが、やはりどの熟語も存在しなかった。
「忙しい」だけ「殺」を認められている。
なんとも不思議だ。
そもそも「殺」という漢字の意味を調べてみると、
③にあるように、大きな意味のひとつとして、
しっかり明記されていた。
他にこの意味の「殺」を用いる語として、
殺到
悩殺
黙殺
などが挙げられており、
形容詞ではないものの、言われてみれば確かにといった感じだ。
心を亡くして殺されると書く「忙殺」。
どうやら、見かけほど怖くはないらしい。
昨日の帰宅道中の暇つぶしに、
日記として書こうと思ったのですが、
思わぬ方向に筆が進んでしまいました。
変なテンションになっていたのでしょう。
これだけ「殺」の字を使うと、
文章の見た目も、携帯の予測変換もすっかり物騒です。
罪滅ぼしに、今日は墓参りに出掛けます。
皆様、良いお盆をお過ごしください。
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