「痛み」を生い立ちに持つ経営者の一人として…心の仕事は「自分の弱さ」で勝負する
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「痛み」を生い立ちに持つ経営者の一人として…心の仕事は「自分の弱さ」で勝負する

「痛み」を生い立ちに持つ経営者として

はたらくってなんだろう。

臨床心理学の大家だった河合隼雄がかつて、このように述べていました。

心理の仕事は、自分の弱点で勝負する

人の弱さ、痛みがわかるからこそ、人に寄り添える。たしかにそうかもしれません。

わたしのように、メンタルヘルスの領域で仕事をする人は、「弱点」で勝負するといわれています。弱さがあるからこそ、人に寄り添えたりするのかもしれません。

人の心は、本当に難しいものだと思います。

傷ついたとき、それを強さに変えていけることもあれば、うずくまって立ち上がれないことも両方あるでしょう。

今日は少し、私の心の痛みについて、あえて触れてみようと思います。私は心の専門家ではないし、疾患を持つ当事者と言うわけでは無いです。しかしながら、メンタルヘルスの領域で事業を営む経営者です。

メンタルヘルスに関するメディアを通じた専門情報の発信および、実践ツールとしての心理検査の開発・販売をしています。

しかし一方で、私もまた、自分の弱点でこの領域で戦っている一個人なのです。

経営者の家系なんだから、さぞ裕福で幸せに育ったのだろう

そう言われることも少なからずありますが、私自身にも痛みがある。

むしろ、痛みがなければ、このメンタルヘルスという領域で頑張りたいとは思わなかったでしょう。

統計を出すまでもなく、日本は自殺大国であり、メンタルヘルスの課題先進国です。この現状をなんとかしたいと思って、いつも事業を頑張っているつもりです。

しかし、わたしなんかより、もっとつらい人がいるでしょう。

苦しみを私も体験しているといっても、響かないかもしれません。

それでも、「つらい」状態がどんな状態なのかは、わたしは理解を示したい。そう思って、事業を営んでいますし、この記事にはそんな想いを込めて書くことにします。

憂鬱

両親の離婚と、バスケットボールとの出会い

わたしは1989年の12月、千葉県の船橋市で生まれました。なかなか子どもが出来なかった両親にとっては、やっとできた待望の子どもだったようです。

しかし、5歳になるときに両親は離婚します。

離婚の事由としては、父の家庭内暴力でした。

言い合いになって母が殴られていた様子は、少し覚えています。それが、一度や二度ではなく、常態化していました。

わたしは、チック症のような症状が出たり、吃音があったようです。

そして、別れてからも、父は私と母にストーカーのように付き纏います。幼稚園の帰りに待ち伏せされたり、大量の手紙が送られてきたり。異常行動とみられるようなことがしばしありました。

子育てにあまりいい影響はないだろうと判断した家族の考えから、父から逃げるようにわたしは茨城県に引っ越しました。

小さな頃はすごく引っ込み思案だったようですが、バスケットボールと出会ったりしてから運動が得意になり、茨城県では非常にのびのびと健やかに過ごせました。

しかしときどき東京に帰ると、待ち伏せしていた父に出会ってしまったり、ショッキングな出来事が続きます。

わたしは、子どもなりに「どうしても理解しあえない間柄というのはあるのだな」と思いました。

こころが折れた中学時代

中学生になるとき、わたしは東京に戻ってきました。東京でも、親族にお世話になりながら過ごすことになります。

しかし、このとき自分にとってはとても苦しい体験をすることになります。

「バスケットボールなんて下らないことをやめて、離婚して出戻って親戚にお世話になっている子どもらしく、言うことを聞いて過ごせ」

と、家族がいうのです。序列を大事にする保守的な家族。「立場を弁えて」と、よく言われました。本当に肩身が狭かった。

少年時代に本当に自分の自信をくれた、バスケットボールを部活としてぼくは続けられなくなります。

その代わり、バスケットボール以外の習い事を散々やらされましたが、どれも続きませんでした。

得意なものを失ってしまった自分は、どこまでも落ちていきました。バスケットやってたときを美化しすぎた虚言のような話を友達にしてしまって周囲にも信用してもらえず、イジメも受けました。

でも、こんな自分の家庭の状況を先生たちもわかってなんかくれず、「アイツはダメなやつだ」と言われたり。

思えば不良予備軍とみなされてたのか教師には怒られるときには殴られたり、蹴られたりもした。思えば、表ざたにはなっていないけれど問題が結構ある中学校だったかもしれません。

僕はこの時、大きく自分を見失いました。
幼いながらに、自分で命を絶つことも考えたことが何度もあります。

みんなは両親がいて、好きなことがやれていいなぁ

そんな悔しさばかりが募っていきました。

そして、気がつけば煙草や酒に中学生の頃には手を出していました。

非行に片足を突っ込みはじめます。

高校進学と立ち直り

中学卒業時、ギリギリ学力は低くなかったこともあり、わたしは偏差値65前後の高校に入学します。周囲はむしろ裕福な家庭の子が多い私立高校でした。

けど、自分はそういうところに染まりたくはなくて地元のあまり素行が良くない面々との付き合いをずっと続けていて、「高校中退して早くプラプラしていたい」と思うようになっていました。

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(15歳の私)

実際に友達と喧嘩して、中退しかけたりもしました。そして、同じように高校にあまりなじめていないメンバーで仲良くもしていましたが、多くの友人が中退しました。

このとき、一つの転機を迎えることになります。

それは「同級生の死」でした。

こんなに簡単に人生って終わるのかと思った記憶があります。私はこの出来事をきっかけに、大きく揺さぶられました。

そして、井上雄彦氏の漫画『バガボンド』に出会います。

宮本武蔵が少年期に悪鬼と呼ばれ、荒くれていたとき、沢庵和尚と出会い「お前はそんな風に出来ていない」(悪鬼ではない)と諭されるシーンがあります。

この言葉は、自分にも大きく突き刺さりました。不良とか落ちこぼれというレッテルを張られていた自分。

けれど、純粋に僕はバスケットボールを楽しみ、努力する少年でした。

そのことを思い出しました。

「今の自分の姿は、本当に本来ありたかった自分だっただろうか」
「自分の人生を簡単に投げ出していいのだろうか」

そんな問いを自分に投げかけます。

もう一度、頑張れる何かと出会いたいという想いから、わたしは大学受験を決めます。

交友関係を改めた上で、早稲田大学を志望しました。

足を椅子に縛り付けたりもして、効率がいいかはわからないけれどヤンキー魂でとにかく質より量で勉強し、偏差値30代からなんとか現役で早稲田大学に合格しました。

努力できる自分は、バスケットボールじゃなくても、別の道で戦えるはずだ。

そう信じて、なんとか思い通りの結果を出せたのが大学受験でした。

「自分の可能性をあきらめてほしくない」

幼少期から大学まで、色んな家庭環境、グレたりもした生い立ちだった私は今、家業である金子書房を継いで経営者として事業を営んでいます。

これまでの出版事業のマルチメディア化に加え、メンタルヘルス×IT事業など、さまざまな領域に挑戦しています。

何度も、私は自分の人生のなかで「もうだめだ」と思うことがありました。

しかし、それでも運や最低限の環境もあるかもしれないけれど、何度も立ち直ってこれました。

だからこそ、色んな人達に対して、つよく思うのです。

「自分の可能性をあきらめてほしくない」と。

意思は、何よりも強いですし、意思を持つことは自分で選択できることです。

では何に対してあきらめてほしくないのか。

それは「幸せになること」です。

スポーツの世界や、学力の世界は、明確に順位が付くでしょうし、その序列を争うことはある種の美学やドラマを生み出します。

しかし、幸せとは極めて主観的なものです。自分の幸福は、絶対的なものとして追い求めていいものだと思います。

メンタルヘルスという心の健康に事業を通じて貢献できると信じています。辛い人の心に、新たな可能性を、勇気を、与えられるようなそんなメディアやサービスを開発する会社にしていきたい。

メディアを通じた情報の発信、支援のためのツールの開発。それはみんな、人の幸福のためであるはずです。

私は色んな人が「幸せな人生を送る」ことができるよう、この会社を経営し、世の中に役に立てていきたい。そう、切に願いを込めて働いています。

好きなレゲエの曲をここに紹介します。ボブ・マーリーです。

Don't warry be happy. (幸せになることを恐れるな)

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

■自己紹介 

けんけん
金子書房 代表取締役 常務執行役員
2012年 早稲田大学卒。マツダ株式会社 経営企画本部を経て、現職。同社のDXに注力。noteによるオウンドメディア、"メンタルヘルス×IT事業"として「心理検査オンライン」、研究機関として金子総合研究所を立ち上げる。メディアを通じた情報発信と、実践ツールとしての心理検査の開発・販売を通じ、「人のこころを大切にする社会づくり」への貢献を目指す。

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「人のこころを大切にし、社会に貢献できる商品やサービスを世の中に届けたい」30歳。異業種を経て老舗出版社を継ぎました。創業以来、大切にしてきた想いを継ぎながら、ITを活用し、新たな選択肢をお客さまに提供したいと思っています。【経歴】早稲田(政経)→マツダ(本社 経営企画)→現職