ちょっとの無理

わたしにとって「ちょっと」無理することは、わたしを前進させてくれる大切な行動。


病気のわたしにとって無理することはマイナスなことだと思う。でも、病気になってからここまで回復できたのは全て「ちょっと」の無理のおかげだと今では思う。


病気になったばかりの頃はね、一歩も外に出られなかったんだ。外が怖くて、家の目の前のポストを見るのが精一杯だった。今では外に出るだけでなく、人が運転する車や交通機関に乗ってお出かけできる日が多くなるまでに回復したの。


そこには「ちょっと」の無理があった。


病院の先生の指導のもと、認知行動療法を行なった。


まずは外を散歩してみること。しばらく外に出ていなかったわたしにとって、それは信じられないくらい怖かった。外で発作が起きたらどうしようと思うことによって、家の中で発作がたびたび起こった。しかし、頓服薬を飲んで体調を整え、一歩外に出てみた。思った以上に空は明るく広かった。いろんな音がして、その音が全て大きく感じた。1分歩いたらしんどくなって家に帰った。最初は家が見える場所しか歩けなかったし横断歩道も渡れなかった。それでも家の周りをぐるぐる歩いているうちに、引きこもることは減った。


そのうち横断歩道を渡っても怖いという感情が少なくなっていった。30分の散歩ができるようになった。自転車に乗って少し出かけられるようになった。


外に出ることができるようになったので今度は苦手な交通機関に乗る練習を始めた。最初はバス停に行くだけで体調が悪くなった。バスを見て気分が悪くなることも。それでもバス停に行くという「ちょっと」の無理をした。バス停に行く回数を増やして慣れてきたら、今度は1駅バスに乗ってみた。電車も同様に練習した。現在ではバスと電車で片道1時間半かかる病院に1人で行けることが増えてきた。


一歩も外に出られなかったわたしが、交通機関で1時間半かけて病院に行くことができる日があるくらいまで回復できた。


「ちょっと」の無理と言っているのは、「無理」とは違うから。


無理は禁物。極端な話、外に出られないわたしがいきなり電車とバスで病院にいこうとすること。それは無理をしている。かなりの無理だ。


でも、「ちょっと」なら。自分が「できるかも」「手が届きそうかも」と思う範囲の無理なら、わたしにとっては挑戦してみる大切な機会。


ちょっとの無理でも、無理していることに変わりはないから、もちろん失敗体験もたくさんしている。1回失敗するとそれがトラウマになってなかなかもう一度やろうと思えなかったりする。そんな時でもわたしは自分を信じて行動することを心がけている。


最近も失敗体験をした。1時間半かけて1人で交通機関で病院に行けたけれど、その帰りの電車で発作が起こりかけた。その段階で電車を降り、車で迎えに来てもらい帰宅した。それでも次回の病院もわたしは1人で病院に行くつもりでいる。失敗体験は、1回失敗したから何もかもダメになるわけではなく、そういう体調の時があるだけで、毎回なるものではないといつも自分に言っている。実際、行ける時と行けない時があるけど、全く行けなくなることはあまりない。だったら、失敗体験に脅かされるだけでなく、同じくらい成功体験に自信を持っていいのかなって。


どんな物事も、辛いことがあっても、それを乗り越えようとする気持ちが大切だと思う。すぐ乗り越えられなくても、できなくてもいいの。自分がそう思えたことを誇りに思いたい。そう思えたことが既に成長だ。

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