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人の話あんまちゃんと聞いてない①


この記事を開いてくださった、優しさ溢れてもはや後光が差しかかっている貴方。

"話をする"のと、"話を聞く"の、どちらがお好きだろうか。


私は以前まで"話を聞く"立場の方が好きだった。

就職活動や研究活動において、あらゆる大人たちを苦笑いさせた話術を持つ私にとっては、そちらの方が合っていると思っていた。


しかし実のところ、"聞き手"というのは難しい。


その厳しさに気づいたのは名著・『7つの習慣』を読んでからだ。

あるページに「聞き手には忍耐が必要」というような文があった。

頭上にハテナマークが浮かんだ。聞き手は受け身で楽な仕事だと思っていたからだ。


しかしそのとき運よく、素直でピュアな小学生的自分が顔を出していたため、我が身を振り返ることができた。

そもそも、小学生的自分無くして自己啓発書など読めない。

ちなみこいつは生理前は確実にシフトが入っていない。



結果、



「聞き役楽かも~」と思いあがっていた自分を東京湾に沈めたくなった。


まず話を聞く気なんてなかったのだ。


” あなたの話をしっかりと聞いている自分 " を示せたらよかったのである。

首の上下運動と、「heː」の発声をしているのみ。

「わかる~」「なるほど!」「すごーい」、返す言葉が空気の如く軽い。

たまに話を聞けたと思えば、自らマウントをとられにいき、自ら血圧を高める始末。


こんなんもう、shiriに話を聞いてもらうほうがマシだ。



中でも話の内容が愚痴であるとき。

そのとき相手はきっと、ただ話を聞いてほしいのである。

不快感が残っていることを誰かに知ってもらって、胸のモヤモヤを成仏させることができたらいい。


その気持ちに寄り添わずに「こうしたらいいんじゃない?」「こういう方法があるよ」と、良き相談相手を気取っていたのだ。

大反省大会である。

「こうしたらよかったのにしなかったあなた」と、無自覚に相手を否定しているかのようだ。

私の場合、真っ先に得意げな様子で解決策を提示されたら

「あ、この人にはあんま話さんとこ」と思うだろう。


これらに気づいてから、

話し手に共感し、肯定し、細やかに話に対する感想を持とうとした。

頭をブンブン回転させ、話の内容を消化・吸収しようとした。




これがまたちょっとした地獄の始まりだったのだった。








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