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優しさという生き物と、どう向き合っていけばいいのか。

優しさが自由自在に生きていて、怖い。

たまに、そう感じる場がある。
優しさという名の生き物が、多分濃いピンクと黄色みたいな色の可愛い顔した生き物が、あたりを飛び回って喜んでいる。

飛び回る優しさにどのように向き合っていいか分からずに、怖い。どうしていいか分からなくて、ただじっと見ている。

優しい人になりたい。そう思うのに時に優しさに多少の気持ち悪さを感じながら、自分なりの優しさを考えて、実行しているつもりでいる。つもりでいるだけでいる。それでも、まだそのピンクと黄色の生き物と仲良くなれない。

「誰にでも優しい」と毎年のように成績表のコメント欄に書かれていた私がその生き物の怖さを初めて目の当たりにしたのは、小学校3年生の時。

クラスで、ドッチボールをした。一人の女の子がボールを掴んだ時、私も含めた他何人かの女の子も同じようにボールを掴もうとしてみんな一緒に倒れ込んだ。一番最後に倒れ込んだ私の手が、一番初めに倒れ込んだ女の子の顔にめりこむ嫌な感触がした。幸い大怪我には至らなかったものの、その女の子は顔の痛みから泣き続けた。私は動揺して、一瞬ぼけっとその場に立ちすくみ、ことの次第を理解して慌ててその子の元に駆け寄り「ごめんね、大丈夫?!私の手だよね、、。痛いよね、ごめんね、、!」と謝った。

その時その女の子は私ではない方向を、キッと睨んでこう言った。

「かなこちゃんじゃないよ、○○ちゃんがやった」

きっと彼女は何かを勘違いしている。「いや、私の手が当たったの。ごめんね、○○ちゃんじゃないよ。私手あたったもん」

「かなこちゃんじゃなかった、○○ちゃんだった。私見た」

他の女の子が言った。そうしたら、クラスの多くが私を庇った。「かなこちゃんが嘘をつかなくていい。○○ちゃんを庇わなくていい」訳が分からなかった。ただ怖かった。私はひたすら謝って、みんなはひたすら私を庇った。私の代わりに犯人にされてしまった女の子は泣いた。なんでみんなが私の言葉を信じてくれないのか、全く分からなかった。勿論みんなはいじわるな嘘をついていたんじゃない。私の無実を、信じていた。

もしかしたら、私がみんなにそうさせたのではないか。
怖さの中でそう思った。

その時、その生き物を初めて見た。

私がみんなにそうさせたんだ。私が、私が誰かに向けた優しさの影響力をきちんと理解していなかったから。その時優しさという生き物は、完全に私の手を離れ、自由に飛び回っていた。ピンクで、黄色で、楽しそうに。

私は優しさを間違っていたんじゃないか、とその時思った。優しさの「力」をきちんと図るのは、多分とてつもなく難しく、それがきでることが、優しさなのではないかと、今なら少し考えることができる。

時に、とても優しい人に出会ってとてつもなく憧れる。私も優しくなりたい。喉から手が出るほど。クラスに私より年が上のもう小学生の子供がいる女の人がいる。いつも誰にでも優しく、気を配って声をかけ、いつも周りの何かしらを褒めている。みんな彼女のことが好きだった。私も勿論、彼女が好きだった。

次第にクラスで彼女の意見が異様に通りやすくなる。先生までもが彼女の意見が正しいともれなくサポートし始める。そんな中で、少しの居心地の悪さを感じ始める。気持ち悪い。ああ、これはきっと嫉妬なんだ。私ができていない人間であるから、こんなトゲトゲした気持ちを抱くんだ。

なんて、愚かな。

数週間前、新しくクラスにやってきた男の子が、周りを気にしながら私にコソッとこう言った。「ここ、ヘイリー独裁政治じゃん、かなこ以外みんなヘイリー信仰してるよね」一瞬面食らった私は、モゴモゴしながらこう言った。「うーん、そんな感じするかな、、でもヘイリーは悪い人じゃないよ、独裁政治みたいなことはしないよ」

本当だった。ヘイリーはいつもみんなの意見を聞いて、そこから学ぼうとする人だ。みんなの意見の良いところをきちんと伝える人だ。

「でも、ここ、きもいじゃん」

でも、ここはきもい。本当だった。やっぱり、ピンクで黄色の生き物が飛び回っていた。

優しさは、とてつもなく、強い。

優しくされたら、嬉しい。気持ちがいい。優しくしてくれる人は、いい人だ。優しくするのも、気持ちがいい、優しさが優しさで帰ってくるのも嬉しい。だから、優しさの影響力は、どんどんどんどんどんどんどんどん、みんなの知らないところで大きくなっていく。優しくされた人も、優しくした人も気持ちがいいから、どんどん強化される。そしてみんなが優しさの力に飲み込まれていくとき、それは、誰の意思にも関係なく力を発揮する生き物になる。そんなつもりじゃなかったのに。

私の優しい優しい知人が、ある日こういった。「○○さんが、いじってくるの正直本当に嫌やし、できるだけ関わりたくないねんけどなぁ、、。」

「されて嫌なことなら嫌っていったら?それかできるだけ接点減らしてみたら?やさしくしすぎなんじゃない?」

「優しくしてないねんけどなぁ、さっきもほら、優しくしてなかったやろ」

「え、あれで?いつもみたいに優しくしてたように見えたけど」

「え、ほんま?うーん、自覚なかった、、」

優しさが強化されて、習慣になって、いつしか自分が思っていることとアウトプットの影響力がどんどん乖離していく。そして、手に負えない生き物を産んでしまう。それは、怖いことだ。そして、きもいことだ。

決して優しさがダメなんじゃない。優しくありたいし、優しくもされたい。本当だ。
でも、ピンクで黄色の生き物を私たちは見過ごしやすいということをちゃんといつでも心に置いておかないと、私はきっと気持ちがいい優しさに飲まれて生き物を自由にしてしまう。

優しくあるために、ちゃんと君のそのピンクと黄色をみているつもりだよ、私は。


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