自分が元気であることは、自分だけのものではないかもしれないと思えた日
完全に崩れてしまった。困ったものだ。こればっかりは、立ち直れないかもしれない。
というか、立ち直って良いのかもわからない。今までになかったことで、どうして良いのかもわからない。
完全に、元気を失った。
弟が亡くなって、色んなことを考えて(その内容については、また別のnoteを書こうと思う。)、自分の中で生活がうまく流れなくなって、社会人一年目の大切な時期にもう本当に全部投げ捨ててしまおうかと思って、でもそれも逃げかと思うと怖くてできなくて、ただ自分を責めて、そして完全に元気を失った。
ある日吐き気で出勤できなくなって、家にいることが多くなった。好きな本も、なかなか手をつけられなくなった。
ベットの天井と、窓のカーテンが揺れる景色だけが、1日の大半を占めるようになった。ああ、病気かも。いっそなんだか重ーい病気だったら良いやって思った。
元気がない自分を自分でいじめて、余計に元気が無くなったりもした。
そんな日の夕方に、彼からLINEが来た。
「かなこは今日はスーパーとか行くの?」
「(しんどいし行けないよ、行きたくもないしなぁ。)今日は行かないかなぁ。」
「ほんとか!外出て見て!」
「外出てみるの?(なんで、、。)」
「うんうんうんでてみて」
「(しんどいし出れないんだけど。)Why Japanese people?」
「まぁ、令和やし、とりあえず」
「なんやねん笑(いやしんどいんですけど。)」
「じゃあ気が向いたら外出て笑」
今元気じゃないんだよなぁ、家でたら外に待っていてくれるわけでもないのになんでそんなこと言うんだ。ってちょっと疲れながら、でも明日のダンボールだけは今のうちに出しておかないといけないのも確かなので、フラフラでサンダルを足に引っ掛けて、その日初めて家を出る。
もう夏だ。外は16時でもまだ明るくて、太陽のオレンジの光が玄関に差し込んだ。
(外は元気だなぁ。)
ダンボールをゴミ置場まで運んで、足元を見ながらアパートの階段を登る。ふと玄関のドアに目線を上げる。ドアノブに小さな紙袋と、紙にくるまった一輪のお花。
あ。
彼はその日、就活の選考で東京に来ていた。残念だけどその日は会えないねって話を前日にしていたところだった。
紙袋の中には
いつも彼が東京に来るときに一輪ずつくれるお花と
先日彼が観て、私も観たいと言っていたDVD。
そしてDVDプレーヤーと簡単なお手紙。
たまには息抜きでも。それにしては少し重いテーマの映画かもやけど。 かなこにとって、良い1日でありますように。あと、たまにはカラオケもオススメ。 りょうた
すぐに彼にLINEをした。なんかもう本当に元気が無かったから、本当に嬉しくて泣いたままお花を握りしめて。
「素敵な時間たくさん持って欲しいからさぁ。」
そうか。
私が元気がないから、彼はわざわざ早起きしてお花を買って、DVDを持って私の家まで来てくれたんだ。
恥ずかしながら、私は私にとって、私が元気がないことは、私だけのものであると思っていた。私が元気でないことで影響を受けるのは私だけだと。そんな訳無い事は考えたら誰だって分かる。でもそれが実感できないぐらいには、私は周りが見えなくなってたんだろうと思う。
でも彼からの手紙を読んで、
当たり前だけど、私が元気であることを望んでくれる人がいて、私が元気であるか元気でないかということは、実は私だけのものではないのかもしれないと思った。
そう思うと、もう少し元気でいようと思えるようになった。思い上がりだけど、それはもしかしたら私の大好きな人たちの元気でも、あるのかもしれない。
まだ胸張って元気です。とは言えないかもしれないけど、私の元気は私だけのためでは無いのだとしたら、明日から少し今日よりは元気だ。
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