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私の趣味は朗読

長男が不登校で家にいることになり、自分のパートを探すのがちょっと難しいと考え、でも何かしたくって探していると、視覚障害者の朗読ボランティアを見つけた。

思い切って電話すると、是非次回朗読勉強会をするので見学をどうぞ誘われ、電車での移動になるが月に2回程度と聞き、参加することとした。

高校時代、私は放送部だった。

中学時代は当時の小学校でバトミントンが人気だったこともあり、バトミントンをしていたが、これを高校までする元気はなく、でも何かしたくって何故か放送部にはいっていた。

同期は私を含め3人。中学から放送部だった子と身体が弱く運動ができないからと選んだ子。中学から放送部だった子が1年生のときから中心で、1つ上の先輩2人も経験者の彼女に頼っていた。

放送部の作品作りは個人ではアナウンス、朗読、団体としてテレビ作品、ラジオ作品、それぞれドキュメンタリーや創作ドラマなどいろいろあった。

経験者の彼女はアナウンサーになりたくて放送部に入っているくらいなので、もちろんアナウンスを選択。その彼女と同じ土俵に立つ勇気がなく、個人では朗読を大体選んでいた。消去法だったが、指導してくれる先生が声をほめてくれて、3年続けると朗読が好きになり、将来もこういう仕事もあるかなぁなんて夢見ていた。けれど、3年でも県大会どまりで全国へは行けないレベルだった。

思い出すのが、彼女と先生の話。自分たちの録音した声をききながら、間や声の入り方等指導してもらっていたが、ある時、ここの間はもう少しあけたほうがいいという。彼女は指摘されたところを言い直したら、それでいいよと先生も合格を出す。この時、わたしは「その間」が全く分からなかった。これが私が全国に行けない理由かぁと悟って、朗読は趣味になった。

就職の時はマスコミも考えなくもなかったけれど、結果としては地元に帰る就職をした。努力をどうすれば良いのかが分からなかった。世間知らずで努力不足の自分を自覚している。

朗読勉強会当日、コロナで避けていた電車に久しぶりに乗って、勉強会の会場に向かう。会場では、せっかくだから先生の前に座ってと誘導され席に着く。広い会議室で四角に机を並べて席も一人ずつ距離を保って座っている。男性が二人、あとは女性。先生と呼ばれた方も女性で、とても上品な方で話し方も素敵だった。先生が黒板を背に座り、私はその正面に当たる席だった。

今日はよろしくお願いしますと挨拶し、朗読の勉強会が始まる。

先生が今日の教材にと出したのは朝日新聞の天声人語。5日分。「コロナ以外のちょっと面白い話を持ってきました。詩や俳句に絵本の紹介もあるので読み方も工夫してみましょう」と一人ずつ読んでは先生のご指導が入る。

聞いていくと、何人かは同じような話し方に感じた。視覚障害者へのボランティアが目的であるので、皆さん1度見ただけでほとんど読み間違いもなく読んでいく。

私の順番となり、さっそく読んでみる。

小学校の子供たちの前で絵本の読み聞かせはしていたが、大人の前では久しぶりもあり、かなり緊張してしまい焦って読んでしまった。絵本の読み聞かせでは私は感情を出すように読んでいたので、つい感情を込め過ぎたかな?と反省していると、先生から「何かされていたの?」ときかれ「高校時代に放送部でした」と答える。少しフシがついていることを指摘される。

何人か聞いていると、個々の朗読の仕方というか読み方が何となくわかってきた。先生もこの記事で伝えたい文章の前では間をとってみるとかとどう?詩を生かすのはどうすればいいかしら?とか話すのを聞いて、自分なりに解釈し、声の強弱や間、早さの切り替えを考え2回目を読む。

1度目よりも落ち着いて声を出すことはできたけれど、先生からは「今日は見学だからと」特に指摘がなく、ちょっと残念だった。でも久しぶりに人の朗読を聞いて、自分とは違う読み方を知り楽しかった。

これは続けようと思い、勉強会後、この会の会長にここへ通いたいとお願いする。次回の日程を教えてもらう。

それから、自宅で新聞記事や気になるnote記事を見つけては実際に声に出して読んでいる。以前は子供がいないときに隠れて朗読していたが、もう長男は家いるし、開き直って練習している。noteの朗読記事も見つけて、聞いて楽しんでいる。

自分で録音したのものを聞いていると、長男から、テレビの人みたいなしゃべり方だね、すごいねと言ってくれた。人間単純なもので、褒められるとうれしい。調子に乗って読んでいたら、学校から帰った次男からはうるさいと言われたので、次男がいないときに練習しようと心に決めました。

次はボランティア活動についての話し合いと聞いている。実際の様子を教えてもらう予定だ。

それまで、新聞朗読と早口言葉!練習しよう。




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