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「あっ、これ間違ってたかも」に気づかせてくれる本。 FACT FULNESS

最近、手当たり次第に本を読んでいる。書店に行って、なんかいいな、惹かれるなって本と、全く本気で興味ないやって本の2種類を買って帰る。 

全く興味ない本を読むのはなんでかって言うと、世の中についてもっと知りたくなったから。知らない世界を知ると、自分の考えが「あっ、これ間違って考えてたかも」って振り返って正確な情報を調べたり、「これ超おもしろい!」って興味を持つきっかけなる。
(だから今、本棚に野球の監督業についての本と、ビットコインの本と、宗教学の本が並んでいたりして、ちょっと混沌としてる。)

それで、今回読んだ本は「あっ、これ間違ってたかも」を日常的に気付かせてくれる本、『ファクトフルネス』。

https://books.rakuten.co.jp/rb/15747423/
(楽天ブックス:ファクトフルネス)

本の内容

・人の本能が思考の偏りを生む
これを10個の偏りパターンに分けて解説し、注意して事実をしっかり捉えよう、という内容。偏りと脱するには、正確な統計データから正しく世界を捉えることを推奨している。

本では、まずこの例題考えてみてよ的な導入で始まるんだけど、その中から1つ抜粋。

『自然災害で毎年亡くなる人の数は、過去100年でどう変化したでしょう?』
A.2倍以上になった
B.あまり変わっていない
C.半分以下になった
(この数字には、洪水・地震・干ばつ・暴風雨・山火事などの死亡者数と、災害後に家を追われ亡くなった方や感染症による死亡者数も含む)

自然災害は怖いもので、日本も近年大きな地震や台風での災害が相次いでいる。近年の気象変化や環境変化で多くなったのかな?でも災害対策は進んでもいるし…とBを選んでみた。答えはCで、見事に間違えた。

これ、意外に感じたんだけど、世界14か国でのアンケートの結果でも正答率は10%。ランダムに選んだときでも33%で当たるのに、みんな間違えている。考えた末に、間違っている。

本では、これは人が本能的に恐ろしいと感じることを過大評価してしまう傾向「恐怖本能」があるからだとしている。自然と危険に目が行ってしまうが、それは恐怖に関心がないと種として生き残ってこれなかっただろう。

感じたものと、事実との違い

実際に目の前で何かの恐怖体験があったとしたら、当然冷静にはいられないと思う。地震が起きて目の前で建物が崩れたら、目の前で人が暴力を受けているのを見たら、恐怖を過大評価せず、冷静な自分でいられるだろうか。

でも、これってスマホやテレビ越しに、日常的に映像が流れていることだ。だから、例えばニュースやSNSで映像を見たその感覚は、本当にそのまま信じていいものだろうか?と、ちょっと考えてしまう。

恐怖は確かに感情を揺さぶり、人を行動に駆り立て、人々がその場を乗り越えるために団結する効果もある。だから、恐怖も場合によってはすごく大事。ただ、その感覚を伴った経験を素直に信じてしまうと、リスクを見誤ってしまうことがある。

これはアメリカのデータだけど、テロと飲酒による死傷者では、飲酒(飲酒運転など、酔った人による殺人など)の方が約50倍も高いという。これはあくまで例だけど、冷静に一歩引き、統計データを見て考えなくては飲酒に目はいかないだろう。テロの方が、目の当たりにしたとき当然怖い。

人の感覚と事実は、ずれることがある。

こんな感じに自分の思考の偏りを読みながら感じさせてくれる本が『ファクトフルネス』だった。他にもネガティブ本能や単純化本能など、恐怖本能以外にも9つの偏りが書いてあるので、興味があったら読んでみて欲しい。

恐怖本能は多くの人にとってわかりやすいので例に出したけど、わかりにくく、もっとひっかかりやすい偏りがいくつも書いてある。

自分の変化と、『じゃあ次どうしよう?』

読んでよかったな、と思うことは、常に「これ自分が間違ってたかも。」「これって本当なのかな?」と振り返る習慣ができたこと。それと、誰もが間違っているかもしれないと、当たり前に考えられるようになったこと。

本当に当たり前のことなんだけど、自分も他人も、常に正確なことを知っていたり、表現できているとは限らず、その上で社会は成り立っている。

「あ、そうなんだ。じゃあもうちょっと考えてみるね。」とか、「調べたらこうだったよ。どうしようか。」とか、今までより物事をちょっと素直に受け止めて、話し合いや根本的な解決のために目線を合わせやすくなった。

間違いや知識不足は当たり前にあって、恥ずかしいものでも、責めるようなものでもないんだよね。自分はそう思う。

それより大事なことは、間違っていても、知らなくても『じゃあ次どうしよう』なんだと思う。

さて、せっかく読んだし、今度思い込みについての検証なんかをしてみようかな。


追記:統計データでの正確な情報から世界を読み取ろう、というのにも欠点があって、データがそもそも無いものや、精神性といった数字にできないものは検証しようがない。そして、その数字にできないものの中にも、人が生きていく上で大事なものがたくさんある。これに関しては、また後日書きたい。

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