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サイレント映画たち

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サイレント映画の記事を増やそうという企画です。ヘッダーは私の大好きな『パンドラの箱』より。
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記事一覧

A・エドワード・サザーランド『チョビ髯大将 (It's the Old Army Game)』しがない薬屋の大騒動

W.C.フィールズの初期作。私的ルイーズ・ブルックス映画祭。1926年当時、フィールズは映画と舞台を股にかけていた。ボードヴィルで寸劇や曲芸を披露し、ブロードウェイでは自身も脚本に参加した『Poppy』をヒットさせて成功を収めていた。この作品は後にD・W・グリフィスが『曲馬団のサリー』として映画化し、フィールズも主演で登場している。本作品はその次の主演作品である。トーキー時代に作られた『かぼちゃ大当り』で同じネタを使っているらしく、確かにマンションの外階段を使ったギャグとか隣

Mikhail Doronin『The Second Wife』ウズベキスタン、豪商の第二夫人になったら…

大傑作。ウズベキスタン最古の映画スタジオであるウズベクフィルム(後にタシュケントフィルムスタジオに改名)で製作された最初期の作品。ウズベキスタンは中央アジアの映画発祥の地であり、中央アジア初の長編映画が製作されたのもウズベキスタンだった。加えて、本作品はウズベク人の女性が女優として参加した初めての作品らしい。というのは当時のウズベク人の女性は"チャチュワン"という開閉可能な網状の布で顔を隠していたため、女性の役は他国から女優を招いて撮影していたというのだ(ちなみに、主演はリト

George Schnéevoigt『Laila』フィンマルクにおける少女の運命、或いは雪上のウエスタン

イェンス・フリースによる同名小説の映画化作品。"死ぬまでに観たいノルウェー映画101本"選出作品。フリースはサーミ語研究の創始者であり、本作品もフィンマルクを舞台にしている。ノルウェー映画史の黎明期における映画の重要な立ち位置はラスムス・ブライスタイン『The Bridal Party in Hardanger』の記事で触れた通りだが、フィンマルクにおけるサーミ人とノルウェー人の対立と融和を描く本作品もまた"ノルウェー的アイデンティティの獲得"という意味で重要な作品になっただ

ラスムス・ブライスタイン『The Bridal Party in Hardanger』ハルダンゲルフィヨルドの自然の下で

ノルウェー無声映画期の代表作であるだけでなく、ノルウェーの視覚的/文化的な歴史においても重要な作品。1905年にスウェーデンから独立したノルウェーでは、多くの人々にとって国家のアイデンティティ問題は重要な命題の一つであり、若い世代の芸術家たちは積極的にこの問題に取り組んだ。ラスムス・ブライスタインもその一人だった。ノルウェー文学を映画化して成功を収める海外の映画製作者たちに飽き飽きしていた彼は、ノルウェー演劇界の才能を結集して自分たちの主張を映像世界にぶちまけることにした。発

ロベルト・ヴィーネ『芸術と手術』私の手は誰の手だ?否、私は誰だ?

何度も言葉にして口の中で転がしたい絶妙なセンスの邦題をしているが、原題"オルラックの手"の方が内容は理解しやすい。開始5分で『鉄路の白薔薇』レベルの列車衝突事故が起こり、世界的なピアニストのオルラックは両手を失う。名医によって別人の両手を移植するが、オルラックはそれが殺人鬼ヴァスールの手であることを知り、次第に彼に乗っ取られていくような感覚に陥る…ってどこかで観たなこの展開。少しばかり頭を捻って、それがガイ・マディン『Cowards Bend the Knee』であることを思

フランツ・オステン『南国千一夜』賭け事もほどほどに

1907年、31歳のフランツ・オステン、基フランス・オスターマイヤーは弟のペーターと共に"オリジナル・フィジオグラフ・カンパニー"と呼ばれる巡回映画館を設立した。これはドイツ最大の映画スタジオであるバイエルン映画スタジオとして今日に残っている。彼はそこで短編ドキュメンタリー映画を上映していたが、すぐに映画撮影に興味を持ち始め、1911年には初の長編『Erna Valeska』が完成する。第一次世界大戦でキャリアは一時中断されるも、終戦後はすぐに映画界に復帰している。ロンドンで

レックス・イングラム『魔術師』ドラキュラの控えめな弟、美女を誘拐する

もうかれこれ8年近くアリス・テリーの可愛さを訴えてきたが、実は『黙示録の四騎士』の断片でしか拝んだことがなかったので、初レックス・イングラムも兼ねて。パリで彫刻家をしているマーガレットが、いきなり製作中の禍々しい悪魔の彫刻のもげた首の下敷きになるという中々衝撃的なシーンで幕を開ける。あのデカさを正面に受けたら確実に死ぬが、なんとか耐え、損傷していた脊椎も優秀な外科医アーサーによって元通りに。そこから二人は親密な関係を築いていく。それを見ていた魔術師オリバーは自信の力を示すため

ガイ・マディン『脳に烙印を!』家族の愛、家族の呪縛

一年で『世界で一番悲しい音楽 (The Saddest Music in the World)』『臆病者はひざまずく (Cowards Bend the Knee)』という二本もの映画を撮った2003年から3年が経って、シアトルの非営利映画製作会社"The Film Company"から、地元ロケ&地元の俳優を使うなら製作費に糸目は付けないという破格のオファーがあり、マディンはこれを引き受けた。そうして完成したのが、ガイ・マディン青年を主人公とする自伝的"私"三部作の二作目で

アンソニー・アスキス『A Cottage on Dartmoor』狂気的執着と純愛の境目はどこに…?

僻地にあるダートムーア刑務所から男が脱獄する。彼はなぜ投獄されたのか?それをフラッシュバックで紐解いていく。美容師だった彼は女性同僚に入れ込むが、その愛情は次第に狂気的な執着へと変貌を遂げ始め、遂には彼女への執着は嫉妬にすり替わる。本作品が興味深いのはサイレント映画なのに"今晩俺とトーキー映画観に行かないか?"が殺し文句となり、まるでホラー映画の雑な予告編のように観客の反応だけで映画館という空間を組み立てていることだろう。画面から放たれる光が主人公の顔を浮かび上がらせては闇に

パウル・フェヨシュ『都会の哀愁』都会の孤独、都会の出会い

故国ハンガリーで離婚と敗戦を経験したフェヨシュは一念発起して新天地アメリカを訪れた。ハンガリーでは医学校に通っていた彼は、ニューヨークでの極貧性格の末、ロックフェラー研究所で仕事を得るなど、一般的な"助っ人外国人"監督とは一線を画す経歴を持っている。彼は仕事を辞めてハリウッドへ向かい、野宿にその日暮らしという生活を送っていたが、エドワード・スピッツという映画好きなボンボンと偶然出会ったことで、初長編『ラスト・モーメント』が完成する。作品がヒットしたかどうかはよく分からないが、

ルイ・フイヤード『ファントマ』時代を築いたある"犯罪者"のアイコン

嗚呼サイレント映画、私の心を掴んで離さない魅惑の映画たち。最小限の説明に最大限の効果を発揮させ、倫理感がいい意味でも悪い意味でもぶっ壊れていて、世界中がもっと密に繋がっていた時代の結晶。第八芸術となるために、絵画や文学に喧嘩売ったり迎合したり、カメラの新しい使い方を競い合ったりといった発展は、20世紀を映画の世紀にした。そんな大好きなサイレント映画の中で、長年の課題になってしまっていたのがルイ・フイヤードの連続映画としてこの世に生を受けた『ファントマ』シリーズなのだ。理由は長

カール・テオドア・ドライヤー『The Bride of Glomdal (グロムダールの花嫁)』ドライヤー版ロミオとジュリエット

ドライヤーが好きすぎて堪らない人間からすれば、彼の少ない作品群を先に見てしまうか後までとっておくか非常に悩ましいところである。私は『裁かるるジャンヌ』『吸血鬼』を見て以降それ以外は見ないように努めいていたが、日本で円盤の出回っていない本作品は私の中のドライヤー神格化を進める鑑賞三作目として最適だったと言い切れる。 主人公トーレは奉公から戻り、経営縮小した家族の農場を引き継ぐ。若いエネルギーを使って河の反対側にある大きなグロムガーデン農場(奉公先)のようにしようとする。グロム